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カムイ(アイヌ語ラテン翻字: kamuy)は、アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のこと。アイヌ民族の伝統的信仰は日本神道に近いとする説もあり、その場合多神教に分類される。
日本語の「カミ」と同様、「霊」や「自然」と表現してもおかしくない(キリスト教の神のような唯一絶対の存在ではない)。日本神道の「八百万の神」も、アイヌの信仰文化と同様の「アニミズム」の特徴があるという説もある。
カムイが日本語のカミと共通起源の語彙であるとする説もある。
無論異説の多い上代特殊仮名遣いを論拠にせずともそれは言える。例えば、こんにちでも、船について、「ふな」「ふね」や、赤について、「あか」「あけ」などと二種の語形があるが、これはそれぞれ被覆形、露出形といわれ、被覆形は複合語的に用いられ、露出形は単独で用い得る(例えば「ふなのり」など)。これは動詞の未然形や已然形などにも派生してゆく。被覆形は[a]で終わることが多い。それに[i甲]を足すと母音連続を許さぬ古語の法則により母音が結合し露出形になると考えられる。[ai甲]が[e乙]となるのは音価が微妙に違うがおおまかに韓国語に現れている(「大」の漢音は日本で「タイ」であるが韓国では「テ」である)。つまり、被覆形「カム」+「i甲」で「カムィ」となるとも考えられるのだ。(但し、これ以外で露出形[mi乙]が被覆形[mu]を顕す例は知る限りで認めない。)
アイヌ民族の伝統的な世界観では、カムイは動植物や自然現象、あるいは人工物など、あらゆるものにカムイが宿っているとされる。一般にカムイと呼ばれる条件としては、「ある固有の能力を有しているもの」、特に人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらすものである事が挙げられる。そして、そういった能力の保持者或いは付与者としてそのものに内在する霊的知性体がカムイであると考えられている。
カムイは、本来神々の世界であるカムイ・モシリに所属しており、その本来の姿は人間と同じだという。例えば火のカムイであるアペ・フチ・カムイなら赤い小袖を着たおばあさんなど、そのものを連想させる姿と考えられている。そしてある一定の使命を帯びて人間の世界であるアイヌ・モシリにやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうという。例えばキムン・カムイが人間の世界にやってくる時にはヒグマの衣服(肉体)をまとってくる。言い換えれば我々が目にするヒグマはすべて、人間の世界におけるカムイの仮の姿ということになる。
名称ではキムン・カムイ、コタン・コロ・カムイ、レプン・カムイのように、「◯◯カムイ」などのように用いられる。
また、カムイの有する「固有の能力」は人間に都合の良い物ばかりとは限らない。例えば熱病をもたらす疫病神パヨカ・カムイなども、人智の及ばぬ力を振るう存在としてカムイと呼ばれる。このように、人間に災厄をもたらすカムイはウェン・カムイと呼ばれ、人間に恩恵をもたらすピリカ・カムイと同様に畏怖される。カムイという言葉は多くの場合にただ「神」と訳されるが、このような場合は「荒神」と訳すべき時もある。例えばカムイコタンとは「カムイの村」という意味だが、多くは地形上の難所などであり、「神の村」というより「恐ろしい荒神のいる場所」とした方が実際のイメージに近い。
カムイは他の多くの宗教の「神」とは違い、人間と対等に並び立つ存在とされる。アイヌは、世界は人間とカムイがお互いを支えあうことで成り立っていると考え、カムイをカムイ・モシリへ返還したり、カムイを新しく作るのは、人間が主導権を握っていると考える。
例えば、ヒグマがアイヌの狩りにより捕らえられたとき、それをアイヌは「キムン・カムイが毛皮と肉を持って自分たちのもとにやってきてくれた」と解釈する。アイヌは、キムン・カムイから毛皮や肉など、利用できるものを利用させてもらい、またカムイに感謝してカムイノミ(カムイ送りの儀式)を行って還ってもらう。このようにカムイは人間の役に立てばイナウなどの供物がもらえるが、役に立たなければカムイ・モシリに帰されるという存在である。
アイヌにとって特に大切とされたカムイにはワッカ・ワシ・カムイ(水のカムイ)がある。水はアイヌの人々の生活になくてはならないものであったからである。アイヌの人々は川を、頭を海に接し、山奥に尻を向けている生き物のように考える。川は海から魚を運んできてくれると考えており、このため生活を魚の採取に頼っているアイヌの人々は川を食料を与えてくれるものとして、ペトルンカムイ(川の霊)といって祀った。