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米倉利紀

米倉利紀



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Wikipedia

米倉 利紀(よねくら としのり、1972年10月21日 - )は、日本の歌手。大阪府豊中市出身。血液型はB型。

本名は米倉 利徳(読み同じ)。

作詞・作曲名義は本名、もしくはtoshinori YONEKURAを使用。身長181cm。

経歴

中学3年時(高校への進学間際)の1988年、『4時ですよーだ』(ダウンタウンが司会を務めた毎日放送制作・関西ローカルの公開生放送番組)の「2丁目ナイス小僧(マスコットボーイ)オーディション」に合格。学業と並行しながら、1989年9月29日の最終回まで「2丁目ナイス小僧」の一員として活動した一方、いいとも青年隊(フジテレビが制作した全国ネットの生放送番組『笑っていいとも!』のマスコットボーイ)のオーディションも受けていた。

地元・関西地方では『4時ですよーだ』の終了後もタレント活動を続けていたが、1991年に上京、1992年4月25日にシングル 『未完のアンドロイド』で歌手デビュー。デビューと同時期に単身渡米、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコ、ロサンゼルスなどの主要都市と日本を往復する生活を送っている。

本格的に作詞・作曲を自身で行う様になったのは1995年頃。ブラックミュージックの影響を強く受け、特に米倉が作詞・作曲を担当する様になった中期以降の楽曲は、アメリカ人プロデューサーや海外のミュージシャンを起用・現地レコーディングをすることで、R&Bやファンク、ソウル音楽を軸としたブラックミュージック色が強まっているが、1995年以前の初期の楽曲は、ロックやポップス、AOR、ジャズに傾いた楽曲が中心だった。

代表曲は「Yes, I do.」(米倉利紀 with BIG HORNS BEE名義)、「Love in the sky」など。1990年代後半以降、KinKi Kids、TOKIO、SMAP、和田アキ子、中山美穂、郷ひろみ、宇都宮隆、MISIA等への楽曲提供・プロデュースを担当。

2008年から俳優としても舞台・ミュージカルに数多く出演。2013年、フジテレビ系ドラマ「ガリレオ」にゲスト出演。

人物

ボストンテリアを二頭飼っている。

尊敬しているミュージシャンはダニー・ハサウェイ、ルーサー・ヴァンドロス、マックスウェル、マイケル・ブーブレ。日本人アーティストでは久保田利伸。

米倉が久保田の楽曲をカバーしたコンセプト・アルバム『gift』収録「Indigo Waltz」を久保田が絶賛。久保田楽曲提供の米倉のオリジナル曲は「soul sole」「believe」などがある。

中西圭三の楽曲・シングル「非情階段」にゲスト・ボーカルとして参加。米倉のシングル「Emergency」では中西がコーラス参加、アルバム収録曲「Angel」では中西が作曲とコーラスを担当。

米倉の楽曲の主な編曲家は、柿崎洋一郎、河越重義、プリンス・チャールズ・アレキサンダー。

柿崎は久保田のバックバンド「MOTHER EARTH」のメンバーでもあった。

デビュー曲「未完のアンドロイド」はスズタンCM曲、c/w曲「forever and ever.」は杉本彩出演のスリムビューティハウスCM曲、2ndシングル「Nasty Groove」は米倉初の作詞・作曲担当楽曲。同曲は田原俊彦出演のダイハツ・シャレードのCM曲、「hanging tough 」日糧製パンチーズ蒸しパンCM曲など、特に初期から中期に於いてCMやテレビ番組へのタイアップが目立っていた。11枚目のシングル「愛してる 愛してない」は、Kinki Kidsや渋谷すばる、KAT-TUNなどがカバー、今もジャニーズ事務所の若手がカバーしている。1996年以降の楽曲は米倉の作詞・作曲が中心であるが、林田健司、さかいゆう、平戸祐介など、様々なジャンルのアーティストから楽曲提供される。1995年以前の楽曲も米倉が作詞・作曲を手掛けた事があるが、他者からの楽曲提供を受ける事が多く、松井五郎、林哲司、都志見隆、関根安里、真間稜、朝水彼方などの名前が多くクレジットされている。


 

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