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株式会社ファンケル(英: FANCL CORPORATION)は、化粧品・健康食品(サプリメント等)の製造・販売を行う日本の企業。神奈川県横浜市中区に本社を置く。創業以来長らく、本社を横浜市栄区に置いていた(上郷町で創業後、飯島町へ移転)。コーポレートスローガンは『正直品質。』。
2019年よりキリンホールディングスの持分法適用会社となっている。
社名「ファンケル」の由来は「ファイン・ケミカル」(fine chemical、日本語で「混じりけのない化学製品」)の略語からで、前社名の「ジャパンファインケミカル販売株式会社」もこれに由来する。また「不安を蹴る=ファンケル」という説もある。
1980年の創業(会社設立は翌年)以来、無添加化粧品を長年製造販売している。鮮度を表す製造年月日の表示や、5ml入りの使い切りミニボトル(通称「バイアル瓶」)を開発するなど、化粧品業界では初となる試みも、創業者の池森賢二のアイデアによるものである。
後述のとおり(#歴史節を参照)全くの異業種からの参入で、老舗企業の多い化粧品業界では後発である。そのため創業以来、既存の大企業に対抗するべく研究開発に注力しており、海外特許約150件、国内特許約460件(2021年6月時点)を取得している。
関連会社として、同じく化粧品・健康商品などを扱うアテニアなどがある。
池森は1937年(昭和12年)6月1日に三重県(現在の伊勢市)で生まれる。産能短期大学を中退後、結婚を機に1959年(昭和34年)4月に神奈川県小田原市の都市ガス会社である小田原瓦斯株式会社に入社。小田原・箱根地区でプロパンガスボンベの配達やガス工事業務に従事し、高圧ガスの作業主任資格を取得する。
1973年(昭和48年)に37歳で同社を退職し、出資者を募ってアイデア商品の雑貨販売を営む会社を起業したものの、2年ほどで廃業。事業失敗による当時の金額で約6,000万円という多額の借金を返済するため、兄が東京都で経営していたクリーニング店の営業を手伝い、2年余で借金を完済した。この経験が自信につながったという。
借金完済の直後に、ファンケル創業の契機となる出来事が起きる。池森の妻が化粧品による肌荒れに悩んでおり、肌を美しくするための化粧品が肌トラブルの原因となっていることに池森は疑問を抱くことになる。高度成長期の日本では、さまざまな公害が社会問題となり、1970年代後半には食品添加物などによる食品公害と並び、化粧品公害が問題となっていた。
池森が知人の皮膚科医に聞いたところ、化粧品による肌荒れの大半は接触皮膚炎であり、その原因のひとつが防腐剤や殺菌剤、香料などの添加物であると知る。そこで池森は知人の技術者に依頼して無添加化粧水のサンプルを作成させたが、防腐剤不使用では日持ちしないため、池森は5mlの小分け容器に詰めて使い切りサイズで販売することを発案した。また当時は化粧品を使えば使うほど良いという宣伝広告がされていたため、化粧品の過剰使用が肌トラブルを引き起こしていたことから、無添加に加えてシンプルな使用をコンセプトとして掲げた。これがファンケルの無添加化粧品の出発点となった。
こうして1980年(昭和55年)4月、池森は42歳で無添加化粧品の製造を個人創業して販売を開始。1981年(昭和56年)8月18日には法人化し、ファンケルの前身となるジャパンファインケミカル販売株式会社を設立。本社を横浜市戸塚区(現:栄区)上郷町1740番地85に置いた。翌1982年(昭和57年)7月には株式会社ファンケルへ商号変更した。
ファンケルの無添加化粧品は敏感肌やアトピー性皮膚炎などの皮膚障害に悩む人々に支持され、1998年には株式を店頭公開、翌1999年には東証1部上場を果たした。
1990年代には健康食品事業に進出し、1994年(平成7年)2月にサプリメント28品目の通信販売を開始した。当時の健康食品は高価な上に怪しげな商法が多くイメージが悪かったため、健康食品に代えて「サプリメント」という名称を用いるとともに、当時の相場の5/1程度の低価格で販売しイメージアップを図った。これにより日本でもサプリメントの使用が習慣として定着し、サプリメントブームが起こるに至った。また1999年(平成11年)には発芽米事業を開始して発芽玄米を発売した。