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佐藤秀樹

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Wikipedia

佐藤 秀樹(さとう ひでき、1970年4月21日 - )は、静岡県富士市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・コーチ。

2014年シーズンより、2年間中日ドラゴンズの二軍投手コーチを務めた。中京大学附属中京高等学校在学時にU-18野球日本代表へ選出された佐藤勇基は実の息子。

経歴

プロ入り前

小学3年の時に野球を始め、中学でエースで4番打者になる。

富士宮西高でも1年秋からエースになり、県大会で2試合連続ノーヒットノーラン、19奪三振を記録。1987年、2年生の時に、第59回選抜高等学校野球大会に出場。

その後、社会人野球の三菱重工横浜では補強選手で3年連続都市対抗野球出場、1992年のドラフト会議で中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。

プロ入り後

1年目の1993年から先発ローテーションにも入り、1994年には7勝を挙げ規定投球回もクリア。10.8決戦にも3番手投手として登板した。

その後はプロ野球脱税事件への関与や成績も下降気味となり、1999年に西武ライオンズに金銭トレードされる。だが、西武でも目立った活躍は出来ず、4年間で1セーブを挙げたのみで、2002年に戦力外通告を受け退団。ヤクルトスワローズに移籍した。

ヤクルト移籍後の2003年には、7年ぶりの勝利投手となり、5勝を挙げ久しぶりに一軍で活躍した。しかし、翌年は再び二軍暮らしとなり、2004年10月5日に戦力外通告を受けた。その後、合同トライアウトに参加したものの、日本プロ野球では獲得する球団は現れなかった。

2005年、台湾・中華職業棒球大聯盟の誠泰コブラズへ入団するも、不振のためシーズン中に選手登録を外れ、コーチ業に専念。同年限りで退団し、現役引退。

2006年より、古巣中日のスコアラーに転身した。2007年まで広島東洋カープ担当、2008年は横浜ベイスターズ担当、2009年から2011年は阪神タイガースを担当した。2012年からはスコアラーの担当制は廃止された。

2013年10月22日、翌2014年シーズンより中日の二軍投手コーチを務めることが発表された。11月1日には背番号が75になることが発表された。2015年は二軍チーフ投手コーチとなった。

2016年からスコアラーに復帰。再び阪神タイガースを担当することになった。2018年からは都裕次郎の後任としてチーフスコアラーに就任した。

詳細情報

年度別投手成績

記録


 

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