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カブキグラス5周年

三谷幸喜



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Wikipedia

三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、俳優、映画監督。シス・カンパニー所属。

経歴

生い立ち

東京都世田谷区出身。父が自分が好きな大相撲力士たる大関・大鵬幸喜(後に横綱に成る)に因み「幸喜」(こうき)と命名。

世田谷区立給田小学校、世田谷区立烏山中学校、世田谷学園高等学校を経て日本大学藝術学部演劇学科卒業。

少年時代には、『とんねるず』の木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。木梨は2軍だったが三谷は11軍で最終的には13軍。

1980年代

大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。

演劇学科の3年後輩の太田光は、「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日本大学のヒーローだった。自分は教授とケンカしたりして演劇を諦めたから、今でも三谷さんにはコンプレックスがある」と、2006年に自らの番組『スタメン』に三谷がゲストで出演した際に語ったが、三谷は後に著書で番組内の発言に対し「番組内では黙っていたが、太田の認識ほどの人気はとてもじゃないが無かった」と書いている。

劇団と並行して放送作家としても活動し、『アイ・アイゲーム』、『欽ドン!』、『お笑いマンガ道場』などの番組構成に携わる。テレビアニメ『サザエさん』の脚本を4本、手がけたこともあるが、3本目に執筆した「タラちゃん成長期」の、タラちゃんが筋肉増強剤を使ってオリンピックに出る夢をみるというストーリーがプロデューサーの逆鱗に触れて降板させられたことを、月刊『ドラマ』の特集で語っている。

1989年から、フジテレビの深夜枠のドラマ『やっぱり猫が好き』の脚本を多くの回で担当し、翌年の同枠の『子供、ほしいね』のほとんどの回を担当したことからテレビドラマの世界でも注目を集めるようになる。

1990年代

1993年に『振り返れば奴がいる』で連続テレビドラマの脚本家としてデビューする。しかし、プロデューサーの石原隆は三谷が喜劇専門であったことを知らなかったため、依頼された内容はシリアスな医療ものだった。結果、脚本の喜劇調の部分は制作スタッフに書き換えられ、三谷の意図からは外れた作品になってしまったが、この作品の成功により、翌1994年には田村正和主演の倒叙ミステリードラマ『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。番組は好評を得、気弱な刑事の今泉慎太郎を演じた東京サンシャインボーイズの劇団員、西村雅彦も一躍有名になった。その後も『王様のレストラン』、『竜馬におまかせ!』、『総理と呼ばないで』、『今夜、宇宙の片隅で』などの連続ドラマを手がけた。

並行して東京サンシャインボーイズの人気も高まり、「チケットが取れない劇団」と呼ばれるようになる。1991年には代表作『12人の優しい日本人』が中原俊監督によって映画化され、高い評価を得た。劇団からは相島一之と梶原善が舞台と同役で出演している。しかし、三谷が劇団として活動していくことに行き詰まりを感じたため、1994年に『東京サンシャインボーイズの「罠」』の倉敷市芸文館での公演を最後に、劇団は「30年間の充電期間」に入った。

1993年には、パルコによるプロデュース公演に参加し、伊原剛志と松下由樹による二人芝居『ダア!ダア!ダア!』の作、演出を手がけた。翌年には三谷の発案により唐沢寿明を起用したサスペンス・スリラー『出口なし!』を作、演出し、その後も現在に至るまで、パルコのプロデュースから多くのヒット作を生み出している。

パルコのプロデュース公演では、歌舞伎俳優の松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」の企画による『バイ・マイセルフ』、『マトリョーシカ』の二作の脚本も担当した。松本幸四郎は、1995年のテレビドラマ『王様のレストラン』の主演でもあり、三谷にとっては大河ドラマ『黄金の日日』や舞台『ラ・マンチャの男』などで昔から強い印象を残している俳優だった。


 

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