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木下雄介



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Wikipedia

木下 雄介(きのした ゆうすけ、1993年10月10日 - )は、大阪府大阪市平野区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。

経歴

プロ入り前

生光学園高等学校3年生時、全国高等学校野球選手権徳島大会決勝で延長戦の末、徳島県立徳島商業高等学校に敗れ、全国選手権出場を逃した。高校野球四国選抜チームに選ばれてハワイ遠征に参加。

翌年、駒澤大学に進学するが、肩を故障して1年で中退。大阪でアルバイト生活を送り、フィットネスジムのトレーナーののち2014年からは不動産会社で営業の仕事に就いていた。高校四国選抜チームの同僚だった増田大輝が四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスで活躍していることに刺激を受け、2015年の開幕を控えた3月に練習生として徳島に入団した。

独立リーグ・徳島時代

2015年は開幕後に支配下選手契約となり、このシーズンは15試合に登板し、防御率5.12であった。

2年目の2016年は、主にリリーフとして28試合に登板、防御率3.45の成績だった。この年は、6月に実施されたリーグの北米選抜チームにも選ばれた。

2016年10月20日のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから育成選手枠1位で指名を受け、支度金200万円・年俸300万円(金額は推定)で契約した。背番号は201。なおドラフト時に既に妻子がおり、入団会見は妻子同席で行った。

中日時代

2017年シーズンはファームで22試合に登板した。11月10日、同月25日から台湾で開催される2017アジアウインターベースボールリーグにおいて、辞退した浜田智博に代わり、NPBウエスタン選抜に追加召集で選出された。11月12日、現状維持で契約更改した。「課題は明確。変化球の精度を上げること、真っすぐの質を高めることと技術面の課題が多い」と述べ、2018年シーズンの支配下登録を目指すとコメントした。

2018年は育成選手で唯一一軍キャンプに帯同し、オープン戦で4試合に登板して5回を1失点という内容を評価され、3月23日に支配下登録となることが発表された。背番号は98となる。4月15日、又吉克樹に代わって出場登録され、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)の8回に登板し、三者凡退に抑えて公式戦デビューを果たした。

2019年はわずか5試合の登板に終わった。また、シーズン中に大阪市中央区でごみ収集車を運転していた父親が、交通事故に遭い死亡する出来事があった。

2020年2月25日、一軍春季キャンプでの練習中に左足首を痛め、腓骨筋腱脱臼と診断を受け、3月10日に左脚腓骨腱の縫合手術を受けて試合復帰まで4か月程度かかる見込みが示された。7月17日の二軍戦で実戦復帰登板を果たし最速152キロを記録。一軍昇格後、9月5日の東京ヤクルトスワローズ戦で2点リードの延長10回裏に登板した際、1回を無失点に抑えプロ初セーブを挙げた。

2021年3月21日、開幕前最後のオープン戦であった北海道日本ハムファイターズ戦(バンテリンドーム ナゴヤ)の8回表に4番手で登板し、二死無走者の場面で淺間大基と相対して4球目を投じた直後に右腕を押さえて倒れ込み、自力で動けずに担架に乗せられて退場、そのまま降板となった。この後で名古屋市内の病院で診察を受け、右肩の脱臼と診断された。4月9日、大阪市内の病院で右肩前方脱臼修復術を受け、更に検査の段階で担当医らが総合的に判断し、併せて右肘内側側副靱帯再建手術(トミー・ジョン手術)も行われた。トミー・ジョン手術は復帰まで約1年かかるため、シーズン中の復帰は絶望的となった。また、木下のケガからの復帰を願うために 同じ中日の又吉克樹が自分が使用する野球メーカ―「ローリングス」に依頼し、木下の顔写真を使用した、Tシャツを作成した。


 

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