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チケッツトゥデイ3周年

すぎやまこういち



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Wikipedia

すぎやま こういち(本名:椙山 浩一、1931年4月11日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。

経歴

生い立ち

東京府東京市下谷区(現在の台東区)生まれ。祖母が子守唄として讃美歌を歌っていたことや、両親が音楽好きだったことから、幼少から音楽に親しむ。また両親がゲーム好きだったことから、物心がついた頃からゲーム好きだった。

小学校時代は父の仕事の影響で引越しが多く、1年(東京市鷹番尋常小学校)、2年 - 5年(清水尋常小学校)、5年 - 6年(市川真間小学校)と転校を繰り返す。名古屋に住んでいた頃から鼻歌で作曲を始めるようになる。カール・ブッセの「山のあなた」にメロディをつけて。母親に譜面に起こしてもらい家族で歌っていたという。楽譜の読み書き(ソルフェージュ)自体は、この時に父母と声で三部合唱している内に、自然に覚えた

千葉県立千葉中学校に入学するものの、戦況の悪化に伴い、大分県竹田市・岐阜県坂下町に疎開。戦後、東京に戻るが、食糧不足から壊血病になり死にかける。この時期、父が焼け残った我が家の反物を持って、荻窪の駅前にあったレコード屋さんに行き、物々交換でベートーヴェンのレコードやオーケストラの楽譜(交響曲第6番、7番のスコア)を手に入れてきてくれたので、それを元に独学でクラシック音楽の勉強を重ねた。具体的には、「田園」のレコードを竹針の蓄音機で掛けながら、コントラバスのパートなどを声で一緒に歌う、という勉強法で、音楽のエッセンスを身に染み込ませた。

東京都立武蔵中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)2年に編入。ここで青島幸男や砂田実と知り合い、青島とは生涯の親友になる。すぎやまが級長、砂田が副級長、青島が問題児という関係であり、退学寸前の大問題を起こした青島を砂田とともに職員会議に乗り込んで助けるなど迷惑を被る一方、青島は当時クラシック一辺倒だったすぎやまにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を薦め、ポップスに興味を持たせるなど、短いながらも濃密な時間を過ごした

新制高校の第1期生として成蹊高等学校に入学した後は音楽漬けの日々を送り、音楽部を創立。3年の時には戦時中に活動休止していた学内オーケストラを再組織し、指揮と編曲を務める。このオーケストラには成蹊中学校の服部克久も参加(トランペット担当)。服部はその後もすぎやまに誘われる形でジャズバンドにも参加している。またそのジャズバンドではすぎやまはベーシストを担当していた。卒業が迫った頃には谷桃子バレエ団の依頼でオペラ用に「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」を作曲。このオペラは何度も再演された。

当初は音楽大学への進学を望んでいたが、ピアノが弾けなかったことから断念し(『週刊Gallop』の鈴木淑子との対談記事では「音大志望だったがお金がなかったから東大に進学した。」とも述べている)、東京大学理科II類に進学。学業に専念できず、音楽活動と遊びに専念。3年次、自由な時間がなくなるのを嫌って、教育学部教育心理学科へ傍系進学。しかし、教官が(授業にあまり出ない)すぎやまの顔を覚えていたために、テストを受けさせてもらえないなどしたため1年留年して卒業。卒業論文は「青少年の年齢層に対するジャズブームの考察」というもので、テープ(ジャズのリズム隊を従え、実際に音を出しながらすぎやまが語るという形式)で提出した

卒業後、父のコネで工場の品質管理のアルバイトをしていたが、「子供のためのバレエ『迷子の青虫さん』」の再演を音楽評論家の有坂愛彦(当時文化放送芸能部長)が気に入り、引き抜かれる形で文化放送に入社。1年報道部で務めた後、芸能部に移り、「日立コンサート」を担当。ここで音楽業界のプロの作曲・編曲方法を直で体験したことが後の作曲家として生きることになる

1958年、「これからはラジオの音楽番組はコスト面で不可能になる」と判断し、開局準備中だったフジテレビに移籍する。

フジテレビ入社後

フジテレビ入社後、ディレクターとして『おとなの漫画』を担当。次いで、ラジオのヒットパレード番組をテレビに移植した形になる『ザ・ヒットパレード』を企画。当初は「ヒットパレード系の番組はラジオだからこそ出来るものだ(実際に現場に歌手を大量に集めるのは困難だ)」と局内、広告代理店、スポンサー全てが難色を示していたが、ナベプロ社長の渡辺晋が話に乗り、ナベプロの歌手をノーギャラで出す代わりに、企画・編集にナベプロをクレジットするという大人のやり取りを経て放送にこぎつけた。このいきさつは後年『ザ・ヒットパレード〜芸能界を変えた男・渡辺晋物語〜』としてドラマ化された。当初は予算がなく、狭いスタジオを広角レンズで撮って広く見せたり、すぎやま自身でテーマソングを作曲するなどして対応していた。弟子の橋本淳によると当時のすぎやまは「フジテレビのヒットラー」を自称していたほど強権的であり、番組に呼んだダスティ・スプリングフィールドが番組直前に口パクじゃないと出演しないとゴネた際に追い返した事件は新聞でも報じられた。

上記の『おとなの漫画』『ザ・ヒットパレード』に関しては、ニュース性があり、それゆえに確実にネタ切れしないだろうという目論見で始めたこともあり、いずれも長期間続く人気番組となった。その他、ディレクターとして『森永スパーク・ショー』『新春かくし芸大会』などを手がけた。

1960年代からディレクター業と並行してCMの作曲家としても精力的に活動していたが、ミュージシャンへの楽曲提供も始めるようになり、それらの曲がヒットするようになると、自分の番組に自分の曲が出てしまうために変な憶測をされないように苦慮するようになり、またJASRACとフジテレビが著作権料の支払いで揉めるなどし始めたために、当時既に給料より作曲家としてのギャラの方が多かったこともあり、1965年4月にフジテレビを退社した。

フジテレビ退社後


 

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2018年8月26日 (日)
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2018年9月8日 (土)
東京芸術劇場
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