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桂米助



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Wikipedia

ヨネスケ(1948年〈昭和23年〉4月15日 - )は、千葉県市原市出身の落語家、タレント。

千葉県立市原高等学校八幡分校(現:千葉県立京葉高等学校)卒業。所属事務所は古舘プロジェクト。血液型はO型。落語芸術協会理事。高座名は桂 米助(かつら よねすけ)。出囃子は『私を野球場へ連れてって(Take Me Out to the Ball Game)』。本名は小野 五六(おの ごろう)。

人物

家庭環境

  • 兄と姉2人の4人兄弟だが、父親がそれぞれ違う複雑な家庭環境で育ったことで有名である(兄とヨネスケは父が同じだが、姉2人はそれぞれ父が違い、ヨネスケには「父親」と呼ぶべき男性が3人いる)。
  • 本人の弁によれば、兄とヨネスケの父は正妻が待つ別の家庭を持っており、自分の母は妾という立場であったという。事情は不明ながら父は生活費を家には入れず、兄弟が多く女手一つでの生活はとても苦しかったそうである。だが母は文句を一切言わず、父が家に居る時はとても嬉しそうであり、大げさな表現をすれば少女のようにはしゃぎ、子どもながら父をとても愛しているのが分かったという。
  • 父についての思い出は、いつも家に居ないが、たまに家に居る時は必ず居間で煙草をゆっくりと吸いながら新聞を読んでおり、とても寡黙な人物だったという。なお、本名の「五六(ごろう)」というのはヨネスケが産まれた時、父親が56歳だったことに由来している。
  • 父だという男性については、現在でも本名もどこに家庭があったのかも分からないという。

落語家「桂米助」

  • 4代目桂米丸にとっては初となる直弟子である。なお、米丸門下の惣領弟子は、米丸の弟弟子であり大師匠・5代目古今亭今輔門下からの預かり弟子にあたる桂歌丸である。
  • 師匠・米丸は米助に稽古を付けることがなかったらしく、米助に初めて稽古を付けたのは当時二ツ目であった兄弟子・歌丸であったという。なお、仮に自分が歌丸の弟子であったならば破門宣告を受けていた可能性があったとも述べている。なお、歌丸も米助のことを「とんでもない弟弟子だ」と思ったことがあるという。
  • 米助が若手の頃、米丸が米助の弟弟子だけを海に遊びに連れて行き、米助のことは連れて行かなかったことがあった。この件で米助は師匠・米丸に対して拗ねてしまい、楽屋内で師匠に挨拶もせず無視したという。この事実は、その場に居合わせた三遊亭小遊三によって後に暴露されている。
  • カタカナ表記の「ヨネスケ」になったいきさつについて、本人の弁によると、「米助」という漢字の表記だと、特に関西地方で「ベイスケ」と読まれてしまい、桂米朝門下の噺家であると誤解されることが多かったため、誤読を避けるためにカタカナ表記にしたとのことである。なお、カタカナで名乗ること自体が落語界では前代未聞の事件であったこともあり、関係者とひと悶着があったという。これについて兄弟子・歌丸は「芸がこなせるのであれば、カタカナで名乗ってもいいのではないか」と理解を示している。
  • 『東西芸人いきなり!2人旅』では月亭方正と一緒に那須塩原市を旅行し、方正に対して「落語は“人生”だし、悩んだことが落語として出てくる。落語は他に色々なことをやりながらやった方がいい」などとアドバイスした。
  • 自作の得意ネタは『寝床』を川崎時代のロッテに置き換えた『野球寝床』、『天狗裁き』の天狗を長嶋茂雄にした『長嶋裁き』といった「野球落語」や、『落語禁止法』など。大師匠・5代目今輔の創作した『ラーメン屋』『表札』などの新作落語も継承している。古典落語では『看板のピン』『壺算』『猫と金魚』などが得意ネタである。

『笑点』座布団運び

  • 『笑点』の座布団運びがテレビデビューだが、出演時の正式な座布団運びは1970年当時人気の女性アイドル・小野千春でサポート役としての出演だった。
  • 『笑点』への出演は、当時メンバーであった兄弟子・歌丸の推薦があったから実現できたと後に述べている。
  • 現在でも『笑点』には真打・襲名昇進披露に出演することがある。

「突撃!隣の晩ごはん」


 

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