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和牛



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Wikipedia

和牛(わぎゅう)は、明治時代以前からの日本在来の牛をもとに、日本国外の品種の牛と交配して作られた品種群である。具体的には黒毛和種・褐毛和種・日本短角種・無角和種の4品種を指す。1976年に米国コロラド州で研究目的に連れてかれた和牛たちの精子と胚が他の国々に流出し、オーストラリアやアメリカで他品種と掛け合わせた混合牛が和牛として日本産よりも多く出回っているため、 日本政府は区別するために公式認定を行っている。

歴史

江戸時代の日本在来牛

日本には古代から牛が導入され、千数百年にわたり広く利用されてきた。系統的には北方系の亜種タウロス (Bos tauros tauros) で、インド系のゼブ牛の血統は入っていない。

鎌倉時代には『国牛十図』が書かれ、品種とまではいかないが、産地による牛の特徴の違いが意識されていた。

江戸時代の中国地方では、積極的に近親交配させて作り出した系統が「蔓」と呼ばれ、優れた蔓の牛が高い値で取り引きされた。肉食が忌まれ、牛乳利用が広まらなかった日本では、牛は基本的にみな役牛であったので、この時代の優れた牛とは、健康で人の言うことをよく聞いて働く牛である。

改良和種と和牛

ふつう和牛という場合には、明治時代以降に国外から導入した品種と在来種とを交配して作られた品種を指す。明治政府は欧米から優れた性質の牛を輸入し、それを在来の牛と交配させて増やすことで、日本の牛を改良しようとした。その多くは乳肉兼用の品種で、明治になって生まれた新しい需要に対応させるものである。しかし多くの農家が牛に期待するのは役用で、その観点でははっきりした効果が得られなかった。

1912年から、生まれた牛の性質を見極めて優れた牛を増やしていく、という組織だった品種改良がはじまった。ベースとなったのはその時に各地で飼われていた日本牛だが、既に外国牛の血が相当に入り込んでいたので、純粋な日本在来牛ではない。そこでこれを「改良和種」と名付けた。改良の目標は役肉両用である。成果が上がって集団としてまとまった性質が見えるようになった1944年に、黒毛和種、褐毛和種、無角和種の3品種に区別し、総称して「和牛」と呼んだ。1957年に日本短角種が追加され、4品種からなる和牛が成立した。

品種改良の過程では、純粋な在来牛を残そうという考えはなかった。日本の牛は外国品種との交雑種になり、純粋な在来種は偶然的な事情で2つの島に生き残った。山口県萩市の見島牛、鹿児島県十島村の口之島牛である。見島牛は国の天然記念物に指定されている。

高級肉牛としての和牛

役牛の仕事は主に耕作と運搬であったが、20世紀後半にトラクターとトラックに完全にとって代わられた。高まる牛乳消費に応じるためには、乳量が多い外国産のホルスタイン種が飼われており、和牛の出番はなかった。そのため、1960年代に和牛の飼育目的は役肉兼用から肉専用に切り替わっていった。

日本在来種とその性質を引き継ぐ和牛は、肥育すると筋肉に脂肪が混ざりやすい。そのような特徴は、牛自身にとっても過去の日本人にとっても有利なものではなかったが、肉食が広まると、他品種の牛肉では得られない柔らかさとうまみにつながることが認められた。役畜としての役割がなくなると、脂肪交雑が多い肉を生産するための和牛飼養と品種改良が進められた。特に、1991年に牛肉の輸入が自由化されると、中途半端な安さでは外国産牛肉に対抗できなくなり、脂肪交雑しやすい黒毛和種を高品質・高価格で生産する傾向が強まった。


 

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