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湖川友謙



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Wikipedia

湖川 友謙(こがわ とものり、1950年1月3日- )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー、演出家。旧名湖川 滋(こがわ しげる)。その他の名義には、花畑まう小国一和亥間我子重塚我子TOIIIO枯葉紅葉音間聞下井草伊井乃弼小馳那乃國広道など多数。NEOX顧問。北海道紋別郡遠軽町出身。出生時の名は滋であったが、姓名判断の結果を受け、手続きを経て正式に友謙に改名している。

概要

1970年代の『宇宙戦艦ヤマト』シリーズ、『銀河鉄道999』といった松本零士作品の作画監督を経て、1980年代に、『伝説巨神イデオン』『戦闘メカ ザブングル』『聖戦士ダンバイン』といった日本サンライズ制作の富野由悠季監督のテレビアニメのキャラクターデザインを手掛けた。代表作は作画のほとんどを自ら手がけていたアニメ映画『伝説巨神イデオン 発動篇』。

あらゆる画風の作品に対応するフレキシブルさとしっかりとしたデッサンで描かれた骨格の入ったキャラクターが特徴で、あおりと言われる構図を得意とした。

「アニメック」でのインタビューによれば「表情表現が乏しくなる」と眼の大きいキャラクターを批判するものの、少女漫画作品をも得意分野としている。さいとうたかをの絵に衝撃を口にする一方で、師匠と呼べる存在はいないと語る。

1979年に作画スタジオとして有限会社ビーボォー設立。北爪宏幸、大森英敏をはじめとして、坂本英明、平野俊弘、板野一郎、矢木正之、遠藤栄一、垣野内成美、恩田尚之、わたなべぢゅんいち、窪岡俊之、辻清光、寺東克己、所智一、筱雅律、沢田正人、宇佐美皓一、南伸一郎、中村悟、仲盛文、越智博之、山下明彦、斉藤昭子、小曽根正美、山根理宏、さとうけいいち、山形厚史、高岡淳一、吉岡敏幸といったアニメーターが所属した。数度のメンバーの独立、離脱を経て、1989年にビーボォーは解散した。後にさまざまな意味で伝説的なスタジオとして語られることになった。

ビーボォーの湖川門下生ではないが、湖川から影響を受けたアニメーターには、稲野義信、中沢一登、黄瀬和哉、後藤圭二、らがいる。さらにアニメーターの長谷川眞也は、2000年頃のリアル志向のアニメの作画は湖川の流れにあるのではないかと見ている。

1985年から1986年にかけて著された作画技術書『アニメーション作画法』『アニメーション作画法・実技編』は、1980年代に多くのアニメーターや漫画家、それらを志す人間に支持された。それらの著書はしばらく絶版状態であったが、2007年に新装改訂版として『アニメーション作画法 デッサン・空間パースの基本と実技』が刊行されている。湖川はアニメ専門学校で講師としても後進の育成に励んでおり、東京アニメーター学院、東映アニメーション研究所で教鞭を振るった。

略歴

北海道遠軽高等学校卒業時に、彫塑家を志望して武蔵野美術大学を受けるも合格せず、友人の付き合いで行った東京ムービーのアニメーター採用試験を受けて1970年に東京ムービーへ入社。

テレビアニメ『巨人の星』の動画からキャリアをスタートさせるが、早くから才能を認められ、動画を描き始めてすぐ原画昇格の話が持ちかけられたほど。数ヶ月後には原画に昇格するが、1971年から仲間のアニメーターの誘いでタツノコプロ作品に外注として参加し、東京ムービーを9ヶ月で退社する。その後、AC企画、ベンゲシャンといったスタジオの設立に参加。スタジオメイツ経由で古巣の東京ムービー制作作品にも外注として参加した。

1971年から1976年まで、『アニメンタリー 決断』を始めとして、『科学忍者隊ガッチャマン』『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ヤッターマン』とタツノコプロの代表作の原画を立て続けに描き、後にそのリアルな作風も相まって湖川はタツノコ系アニメーターと目されるようになる。須田正己、二宮常雄とともにタツノコプロ三羽烏とも呼ばれていた。このことからタツノコ所属のアニメーターだったと誤解されがちだが、タツノコ作品へは外注としての参加でタツノコの社内で仕事をしていたわけではない。これらの仕事もあくまでもフリーのアニメーターとして行ったものである。本人も「アメコミ風」「タツノコ系」と自分の画風を評されるのを否定する発言を、『伝説巨神イデオン』で知名度が増してから幾度となく行なっている。

1977年からはタツノコプロ作品を離れ、タツノコの演出家だった布川ゆうじが手がける和光プロの『激走!ルーベンカイザー』やタツノコのメカデザイナーだった大河原邦男が手がける『合身戦隊メカンダーロボ』、東映動画の『超人戦隊バラタック』といったテレビアニメで作画監督を手がけるようになった。東映動画での仕事は、1978年のアニメ映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』、テレビアニメ『銀河鉄道999』のキャラクターデザインと総作画監督の仕事へ繋がった。

同年には日本サンライズの『無敵鋼人ダイターン3』の敵側のキャラクターデザインを担当。東映動画と掛け持ちだったため、ペンネームでの参加だった。日本サンライズでは1980年の『伝説巨神イデオン』から富野由悠季とコンビを組み、1984年の『重戦機エルガイム』まで片腕として活躍した。(『エルガイム』と並行して、『超時空騎団サザンクロス』のキャラクターデザインも同作の監督の長谷川康雄からの依頼で担当している。)

その後番組『機動戦士Ζガンダム』は既にスタジオぱっくとして独立した北爪宏幸らに任せて殆ど参加せず(数回のみビーボォーの参加回が存在する)、主宰するビーボォーのメンバーを引き連れて、古巣タツノコプロで『よろしくメカドック』『炎のアルペンローゼ』の作画や東映動画で『オーディーン 光子帆船スターライト』のキャラクターデザイン(男性キャラのみ)・作画監督を引き受ける。

1983年から1984年に徳間書店『ザ・モーションコミック』でマンガを発表。さらに1984年から1985年にかけては原作・監督・脚本・キャラクターデザイン・作画監督を手がけた『GREED』、『COOL COOL BYE』の2本の作品を製作。

1990年代以降は、テレビアニメの絵コンテや作画監督をペンネームで務める。2005年にはアニメ映画『あした元気にな〜れ!』のキャラクターデザインと作画監督で久しぶりに気を吐いた。


 

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