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真矢ミキ



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Wikipedia

真矢 ミキ(まや みき、1964年1月31日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組トップスター。旧芸名・真矢 みき(読み同じ)。本名、西島 美季(にしじま みき)、旧姓、佐藤(さとう)。所属事務所はオスカープロモーション。

広島市西区南観音町生まれ、大阪府豊中市育ち。

来歴・人物

父方の祖父、佐藤宇吉(実家の世襲の名前であった)は山形県庄内町廻館の大店呉服店の跡取りで、低価格運賃を売りにしたバス会社を設立した人物だったが、生来の放蕩癖と世界大恐慌が原因で真矢の父が4歳の時に彼の方から離縁を言い渡した。真矢の父は貧しい生活の中、自ら働いて大学の進学資金を稼ぎ、進駐軍譲りの英語力を買われ民航空運公司に入社、その後、KLMオランダ航空のディスパッチャーを経て設立直後の東亜航空、最終的には日本エアシステムの重役へ、と航空業界を渡り歩いた。母方の実家は現在の大成建設の下請けとして日本の鉄筋コンクリート造りの創成期から鉄筋コンクリート専門の工務店をしており、横浜競馬場などを建設している。4歳まで広島市で育ち、父親の転勤により各地を転々、中学校卒業まで8回転居した。中学校の三年間が大阪府豊中市育ち。「日舞を習いたい」と中学時代から宝塚コドモアテネに通う。

大地真央への憧れから豊中市立第二中学校卒業後、1979年に宝塚音楽学校に入学。1981年、67期生として宝塚歌劇団に入団。入団時の成績は21番。同期には女優の北原遥子(元娘役スター、日本航空123便墜落事故で死亡)、黒木瞳(1982年 - 1985年まで月組トップ娘役)、涼風真世(1991年 - 1993年まで月組トップスター)、毬藻えり(1989年 - 1992年まで星組トップ娘役)、演劇プロデューサー、活弁士、日本舞踊講師の幸風イレネ、梨花ますみがいる。

初舞台当初から注目を集め、歴代花組トップスターに勝るも劣らぬ個性派スターとしての道を歩み、特に1992年 - 1995年は2番手ながらトップとほぼ同等な扱いを受け、芝居・ショーともに活躍。安寿ミラとの男役同士のコンビは当時呼び物となった。1995年、安寿の退団により『エデンの東』で花組トップスターに就任。相手役には純名里沙。純名の退団後は千ほさち(現・森ほさち)を相手役に迎えた。

長髪のヘアスタイルやナチュラルな舞台メイク、独特の着こなしや、退団直前につんく♂プロデュースによる日本武道館でのソロコンサートの開催、篠山紀信撮影による写真集の出版など、宝塚に新しい風を積極的に吹きこみヅカの革命児とまで言われた。

1998年10月5日、『SPEAKEASY』東京公演千秋楽をもち宝塚歌劇団を退団。

宝塚退団後に鳴り物入りで芸能界入りしたが、38歳のときに事務所から戦力外通告。どん底を経験する。知人からリクルートスーツを借り、自ら『踊る大捜査線』のオーディションを受けた。そして、2003年、このオーディションを這い上がり、念願の芸能界復活を果たした。

身長166cm。特技は歌、ダンス、日舞、バトン、作詞。趣味は旅行、絵。

宝塚音楽学校での成績は同期39人中で37位だった。そのため、インタビューなどで自らのことを「劣等生」と語っている。

2008年7月1日にブログでバレエダンサーの西島千博と結婚することを発表した。また、同年12月22日に入籍していたことが明らかになり、2009年4月4日、明治神宮で挙式。

2009年には第20回日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞。2011年には第28回ベストジーニスト2011協議会選出部門を受賞。

2015年3月1日付で、ブルーミングエージェンシーからオスカープロモーションに事務所を移籍するとともに芸名表記を変更。

2016年、『ドラマティック古事記〜神々の愛の物語〜』で夫の西島と初共演を果たす。


 

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