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つかこうへい



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Wikipedia

つか こうへい(1948年4月24日 - 2010年7月10日)は、日本の劇作家、演出家、小説家。本名、日本名:金原 峰雄(かねはら みねお)、韓国名:金 峰雄(キム・ボンウン、朝鮮語: ???)。

福岡県嘉穂郡嘉穂町(現・嘉麻市)牛隈生まれ。国籍は大韓民国。慶應義塾大学文学部哲学科中退。★☆北区つかこうへい劇団主宰。生前は東京都北区に在住し、同区の親善大使も務めた。血液型A型。

経歴

生い立ち

旧福岡県嘉穂郡嘉穂町に在日韓国人2世として誕生。三男一女の二男。

高校卒業までを筑豊で過ごし、嘉穂町立大隈小学校、嘉穂町立大隈中学校を経て、福岡県立山田高等学校を卒業。高校時代は新聞部の部長を務め、「反逆児」と題した社会の流行や通俗的な考えを批判するコラムなどを執筆していた。浪人して上京し、慶應義塾大学文学部哲学科に進学する。慶應義塾大学文学部哲学科中退。

演劇に熱中した人生

慶應義塾大学在学中にアルバイトで予備校の講師をしていたときに、生徒から依頼を受けて芝居の戯曲を書いたことがこの世界に入るきっかけとなる。慶応では学生劇団「仮面舞台」に参加。のち、早稲田大学の劇団「暫」(主宰:向島三四郎、知念正文)に関わり、そこで当時早稲田の学生だった三浦洋一や平田満などと出会う。大学在学中からアングラ演劇第二世代の劇作家、演出家として活動を始め、"つかこうへい以前(第一世代)"、"つかこうへい以後(第三世代)"と呼ばれるほどの一時代を築き、1970年代から1980年代にかけて一大 "つかブーム"を巻き起こした。

このペンネームは、集英社文庫『飛龍伝〜神林美智子の生涯』のあとがきの中で「激動の1960年代を駆け抜けた中核派の学生運動家・奥浩平氏の名前がペンネームの由来」と明かしている。全部ひらがなにした理由については、新聞のインタビューや光文社刊の『娘に語る祖国』の中で「日本語がわからない母にもわかるように」「漫画家ちばてつやさんのファンで、自分も全部ひらがなにした」と答えている。

1974年、劇団「つかこうへい事務所」を設立。

1982年、劇団「つかこうへい事務所」解散。一時、執筆業に専念する。

1987年4月、初めて韓国の地を踏む。同年11月、ソウルで韓国人役者による『熱海殺人事件』を上演し大成功を収める。この時の出演者(4人)は後に韓国を代表する俳優となり、ヒロインを演じた金知淑(キム・ジスク)の弟である金知雲(キム・ジウン)は、再度姉が出演した『熱海殺人事件』と新たに『蒲田行進曲』の舞台を演出し、その後韓国映画界を代表する人気映画監督となるなど、韓国演劇・映画界に多大な影響を及ぼした(このときのことをエッセイ『娘に語る祖国』(光文社刊)に綴り在日韓国人二世であることも公表。ベストセラーとなった)。

1994年4月、東京都北区と協力し、☆北区つかこうへい劇団を創設。日本で初めて行政のバックアップを受けた劇団として多くの関心を集めた。その後も、1996年、大分県大分市と協力し、大分市つかこうへい劇団を創設(2000年12月解散)。1998年には、北海道北広島市に「つかこうへい北海道演劇人育成セミナー」を開設し、地方からの文化発信を目標に演劇育成に尽力した。1999年4月にはソウルで大分市つかこうへい劇団による韓国初の日本語公演(『熱海殺人事件・売春捜査官』)を行った(金大中大統領による日本文化開放の最初の目玉として、日韓両政府が正式認可した初の日本語による上演)。

私生活

1980年に熊谷真実と結婚したが、1982年に離婚。
1983年に生駒直子(元つか劇団の女優・松竹の映画監督だった生駒千里の娘)と再婚した。つかは帰化をしなかったが家族の将来を考え夫婦別姓で結婚、一人娘の愛原実花(本名・生駒みな子)は誕生より母方の日本国籍である。この辺りの苦渋は自著の『娘に語る祖国』に綴られている。


 

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ホルトホール大分