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吉田照美

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Wikipedia

吉田 照美(よしだ てるみ、1951年〈昭和26年〉1月23日 - )は、日本の男性フリーアナウンサー、タレント。元・文化放送アナウンサー。退社後は有限会社 吉田照美事務所(個人事務所)→ 西本商会 → アミューズ → アワーソングスクリエイティブ(ケイダッシュ グループ)を経て、現在はブランニューミュージック(ケイダッシュ グループ)所属。

来歴

東京都葛飾区出身。血液型はO型。

江戸川区立小岩第三中学校、東京都立小岩高等学校を経て1年浪人の末、早稲田大学政治経済学部経済学科入学、学生時代はアナウンス研究会に所属。

文化放送入社

就職活動では経済学科だから銀行に就職しようと考えていたが一般企業の就活はせず、受けられる放送局のアナウンサー試験をすべて受験、最終的にニッポン放送と文化放送の最終面接の三人に残ったが、ニッポン放送は落ち、最後に残った文化放送に内定した。

1974年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。大相撲が好きな事から、当時の人気番組『大相撲熱戦十番』の支度部屋リポートを担当。

その後、1975年 - 1980年、平日夕方の帯ワイド番組『桂竜也の夕焼けワイド』の外中継コーナー「夕焼けトピッカー」のリポーターを担当。オペラを唄いながら商店街を歩き、女性とデートする、目隠しをしながら腰に手拭いを巻いて、銭湯の女湯に潜入する等、誰もやらない・恥ずかしい・それでいてラジオを聴いているリスナーが笑い転げる企画を多数展開していた。

セイ!ヤング

1978年4月、深夜放送『セイ!ヤング』のパーソナリティに抜擢された。当時の深夜放送はブームは既に過ぎていたが、ここでも『夕焼けワイド』同様、スタジオの中で料理を作ったり、本当に湯を張って風呂に入ったりするなどの『照美の独身貴族四畳半』、『今週のおすすめポルノ』 など誰もやらない、バカバカしい企画を敢行。

ある日の夕方、当時の国鉄中央本線各駅停車の車内に現れ、空のビールジョッキを手に持ちながら、放送で呼びかけたリスナー数十名と一緒に乾杯の音頭を叫び、乗客の反応を窺う「乾杯おじさん」。当時の東京大学一次試験合格発表日当日、受験生を装いながら学生服姿で登場し、友人の受験生数名(実は番組スタッフ)と一緒に胴上げした姿がNHKの7時のニュースで放送された「ニセ東大胴上げ事件」などの企画があった。「ニセ東大胴上げ事件」は賛否両論(そもそもの騒ぎが不謹慎といった論調や、権威主義を批判するマスコミが東大合格を報道する矛盾を気付かせてくれた、など)あるなか、永六輔が、TBSラジオの自身の番組で「隣の局(文化放送)の吉田という若いアナウンサーが、バカな事をやってて面白かった」と称賛した。

神田明神で行われたガマン大会にふんどし一丁で参加して、氷水を頭から浴びた姿が、テレビのワイドショーで流れた。このガマン大会に対して北の湖から怒りを買ってしまった(後述)。

当初は水曜担当で、裏番組の『タモリのオールナイトニッポン』が人気を博していた事から「どうせ誰も聴いていないから、自分のやりたい事をやろう」と開き直った結果、口コミで徐々に人気となり、最終的に2年半続いた(1978年4月 - 1980年3月は水曜、1980年4月 - 9月は金曜担当)。

エンディングのフリートークから、提供クレジットまでのBGMには都倉俊一グランド・オーケストラの演奏による「リヨンの星座」が使用された。

てるてるワイド


 

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