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芸映プロダクション(げいえいプロダクション)は、東京都目黒区にある芸能事務所である。
1957年、「伴淳三郎東京事務所」と兼ねる形で設立した「東京芸映プロダクション」を前身とする。1959年3月10日、中央区銀座8-19に「株式会社芸映」の社名で発足(初代社長は医師で画家の宮田重雄)。1961年、喜劇俳優の伴淳三郎が2代目社長に就任。
発足当時は外国テレビ映画『アラゴンの城塞』『遥かなる戦線』『忘れられた人々』『独逸かく戦えり』『命ある限り』などを輸入したり、角丸証券、東洋レーヨンなどのCF制作が中心の企業であった。
1962年、タレントのマネジメント業に進出。以降、エミー・ジャクソンの「涙の太陽」(1965年)、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」(1968年)のヒット等で礎を築く 。
1965年、芸映音楽出版を設立。
1968年、伴のマネージャーだった青木伸樹が3代目社長に就任。
長らく赤坂のアマンド向かいのビルに事務所を構えていたが、1998年から目黒区に移転している。