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アラビアンナイト



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Wikipedia

千夜一夜物語』(せんやいちやものがたり、アラビア語: ??? ???? ??????, ペルシア語: ???? ? ?? ???)は、イスラム世界における説話集。ペルシャの王に妻が毎夜物語を語る形式を採る。枠物語の手法で描かれた代表的な物語の一つとしても知られる。英語版の題名より「アラビアンナイト」の名称でも広く知られている。

サーサーン朝(ササン朝ペルシャ)時代に、ペルシャ・インド・ギリシャなど各地の民話が、公用語の中世ペルシャ語(パフラヴィー語)で記され、「ハザール・アフサーナ」(ペルシア語: ???? ??????,千の物語)として編纂された。その後、651年にサーサーン朝はイスラム教徒に征服されてイスラーム帝国が勃興する。最初のウマイヤ朝を経て、アッバース朝初期の8世紀後半に、その新都バグダードがイスラーム帝国の中心都市として整備され始めた以降、アラビア語に翻訳されて9世紀にはその原型ができた。アラビア語の題名は「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」(アラビア語: ??? ???? ??????,千一夜)。

1704年に、ルイ14世に仕えていた東洋学者アントワーヌ・ガランが、アラビア語の写本からフランス語に翻訳して「千一夜」(フランス語: Les Mille et Une Nuits)第一巻を出版した。ガランの翻訳と出版をきっかけにヨーロッパ中に「千一夜」ブームが起きた。1706年に、英語版が「アラビアンナイトエンターテイメント」(英語: The Arabian Nights' Entertainment)と名付けられて出版された。それ以降、世界中で翻訳されて広まることとなった。日本では、1875年(明治8年)に初翻訳され、現在では「千夜一夜物語」「千一夜物語」あるいは「アラビアンナイト」と呼ばれる。

なお、アントワーヌ・ガランが翻訳に使用した「千一夜」のアラビア語の写本では、夜の数は282夜、結末はない。しかし出版以降、「千一夜」を、数多くの夜という意味には捉えず、正確な数字と信じたガランを含む多くのヨーロッパ人によって次々と話が追加されたため、アラジンと魔法のランプ・シンドバッドの冒険・アリババと40人の盗賊・空飛ぶ絨毯など、元々、そのアラビア語の写本には存在しない話が、現代の「千一夜」では多くを占めている。そして、「千一夜」の結末は、いくつもの創作がなされて版により異なる。(後述)

1984年に、ムフシン・マフディー(Muhsin Mahdi)が発表した研究成果「初期アラビア語版による千一夜」が、現在では、本来の「千一夜」を知る最良のものと評価されている。

名称

千夜一夜物語、アラビア語: ??? ???? ?????? はラテン文字化で alfu lailatin wa lailatun もしくは Alf Laylah wa Laylah (「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」)、 ペルシャ語: ???? ? ?? ??? はラテン文字化で Hez?r-o yek ?ab となる。なお、物語の元となったサーサーン朝(ササン朝ペルシャ)時代の「ハザール・アフサーナ」(ペルシア語: ???? ??????,千の物語)はラテン文字化で Haz?r Afs?n

アラビア語名の「アルフ・ライラ・ワ・ライラ」は、alfが「千」、laylahが「夜」、waが接続詞「と」、直訳は「千夜と一夜」。現在、日本では「千夜一夜物語」そして「千一夜物語」さらに、1706年イギリスで出版された英語版の題名 Arabian Nights Entertainments から「アラビアンナイト」の名称も加えて、3つの名称が使用されている。

1875年(明治8年)に日本で初翻訳された際は、英語版の題名を参考にアラビアの名称が使われた(「暴夜物語」(1875年)、「全世界一大貴書(アラビアンナイト)」(1883年)他)。

「千一夜」の題名は、単に数が多い事を示しているだけで、正確な数を示しているわけではないとする見方や、文字通り「千一夜」を示しているとする見方もある。この題名の意図を示すサーサーン朝(ササン朝ペルシャ)やアッバース朝時代の資料はなく、具体的にはわかっていない。ちなみに、1704年にアントワーヌ・ガランがフランス語に翻訳した際のアラビア語写本の夜の数は282夜だった。

内容

詳細は「千夜一夜物語のあらすじ」、「千夜一夜物語の登場人物紹介(英語版)」参照

昔々、サーサーン朝(ササン朝ペルシャ)にシャフリヤールという王がいた(Shahry?r:物語上の架空人物)。王はインドと中国も治めていた。ある時、王は、妻の不貞を知り、妻と相手の奴隷たちの首をはねて殺した。

女性不信となった王は、街の生娘を宮殿に呼び一夜を過ごしては、翌朝にはその首をはねた。こうして街から次々と若い女性がいなくなっていった。王の側近の大臣は困り果てたが、その大臣の娘シェヘラザード(シャハラザード、??????)が名乗り出て、これを止めるため、王の元に嫁ぎ妻となった。

明日をも知れぬ中、シェヘラザードは命がけで、毎夜、王に興味深い物語を語る。話が佳境に入った所で「続きは、また明日」そして「明日はもっと面白い」と話を打ち切る。王は、話の続きが聞きたくてシェヘラザードを殺さずに生かし続けて、ついにシェヘラザードは王の悪習を止めさせる。

以上が、物語の大枠であるが、この結末、すなわちこの王の悪習を止めさせたとする筋書きは、後世のヨーロッパ人が追加したものである。1704年に「千一夜」を初めてヨーロッパに紹介したアントワーヌ・ガランが翻訳に使用したアラビア語の写本には、結末はない。282夜の話があるだけである。


 

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