日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年6月4日 - )は劇団民藝所属の女優。本名は中園ともゑ。東京都出身。父親は東京新聞社社員で将棋観戦記者・演芸評論家であった日色恵。1969年に結婚した夫は建築家の中園正樹(株式会社松田平田設計代表取締役社長)。
略歴
- 1960年、東横学園高等学校(現・東京都市大学等々力高等学校)卒業後、劇団民藝俳優教室入所
- 1961年、劇団民藝に入団、宇野重吉に師事し、演技を学ぶ。
1967年、NHK朝の連続テレビ小説『旅路』のヒロインを担当。1969年、結婚。人物
小学生の時に観た映画『原爆の子』(新藤兼人監督作)に心を打たれたことが役者を目指す原点となる。自身も戦争で祖母と叔父、叔母を亡くしており、近年も平和の尊さを訴える朗読劇に積極的に参加している。
『大草原の小さな家』の吹き替えの依頼が来た当初は声優の経験がほとんど無かったことから自信が持てなかったので、1クール(22話分)だけのつもりで引き受けたという。しかし番組は好評で十年を越す長寿番組になり、共演した子役たちからは現在も「お母さん」と慕われ、交流が続いているという。
公演で新潟県を訪れた際とても好評だったことがきっかけで、近年は農業教室も開いており、自ら栽培し収穫した米は「ともゑ米」の銘柄にもなっている。
エピソード
- 1968年(昭和43年)、同10月21日から31日まで開催された「第1回アジア・アフリカ映画祭」に出席のため、旧ソビエト連邦ウズベク共和国(現・ウズベキスタン)の首都タシケントを訪れている。
- 父親が将棋の観戦記者だったこともあり、幼少の頃から父親に付いて対局場などに出入りする機会が多く、大内延介や米長邦雄といった同世代の棋士とは、彼らの修業時代から数えて五十年来の付き合いという。米長がかつて、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演した際も、おともだちとして日色を紹介した。
- 6枚落ちのハンデをもらった対局で大山康晴に勝利した。
- 60歳で終活を始めており、現在も進めている。数年前から自分が眠るための墓を用意している。
- 『大草原の小さな家』でカレン・グラッスルの吹き替えを担当することになったきっかけは監督に「カレン・グラッスルと顎の骨格が似ているので声も似ているだろう」と判断されたことである。
- カレン・グラッスルがカントリーマアムのCMに出演した際当初は別の役者が吹き替えを担当していたが、当時の不二家の社長夫人が「日色ともゑの声でないと違和感がある」と社員に伝えたことがきっかけで、急遽CMでも日色が吹き替えを担当することになった。当時日色は劇団での地方巡業中だったため、大阪までスタッフが赴き収録した。
出演
映画