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水道橋博士



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Wikipedia

水道橋 博士(すいどうばし はかせ、1962年8月18日 - )は、お笑い芸人で浅草キッドのメンバーで突っ込みを担当している。

本名は小野 正芳(おの まさよし)。岡山県倉敷市出身。オフィス北野所属。身長161cm、体重53kg。

漫才師、コメンテーター、ライターとして雑誌にコラムやエッセイの執筆などを行っている。

来歴

生い立ち

岡山県の紙問屋の次男として生まれる。金に困らず、成績のよい優等生だった。岡山大学教育学部附属中学校に進学。だが、まわりは優等生ばかりで、勉強する意欲が起きなくなり、落ちこぼれる。中学の同級生にザ・クロマニヨンズの甲本ヒロト、オウム真理教の中川智正がいる。

中学時代に、竹中労の著作を読んだことで、ルポ・ライターに憧れる。また、ブルース・リーや『空手バカ一代』などに大きな影響を受ける。

岡山県立倉敷青陵高等学校に入学。15歳から16歳で過敏性大腸症候群を患い1年留年。青春であるこの時期自分が何者なのか将来何者になるのか閉塞感と絶望で葛藤のはけ口を自慰行為、映画鑑賞に費やす中、少年期を過ごし同級のいわゆる変な奴らとだけ口を聞いた。

たけしに弟子入り

19歳の高校3年生のときに始まったラジオ番組『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聞き始めてビートたけしに心酔。メモ魔だったので、放送内容をすべてノートに書き起こし研究した。高校卒業後(および在学中)、長谷川和彦かビートたけしか、と師事先を悩むも「とにかくビートたけしに会えば何か展望が開けるに違いない」と漠然とした目的と何ら具体的な計画のないまま上京を目指し、たけしと同じ学校でないとだめだと必死で勉強し、たけしの母校である明治大学経営学部に入学。しかし、大学になじめず、4日しか通わず 単位を取得せずに4年間パチンコとアルバイトに明け暮れた。ただ、なにかひとつくらいは、やりとげようと、宅地建物取引士の資格をとったらしい。

その後、1986年にたけしの追っかけを7か月続けた。『オールナイトニッポン』を放送する深夜のニッポン放送前に通い詰め、企画書などを渡した結果、たけしからおもしろいじゃないかと連絡があり、他の追っかけ10人と共にたけしに弟子入りを認められる。

浅草キッド結成

その後、浅草フランス座で修業を積み、翌1987年に玉袋筋太郎と浅草キッドを結成。上京がほぼ逐電に近いかたちであったため、帰郷するよう説得するべく親が東京に訪れるがことごとく拒否する。

たけし軍団がフライデー襲撃事件を起こして謹慎中だったころ、居酒屋で喧嘩をして相手を殴り、その際の示談金600万円をたけしに借金した。その後、借金を年貢と称して少しずつ返済し、完済した。きちんと返す者はあまりいなかったためたけしから褒められた。

1990年代


 

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