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伊藤つかさ

伊藤つかさ



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
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Wikipedia

伊藤 つかさ(いとう つかさ、1967年2月21日 - )は、日本の女優。所属事務所はカートプロモーション。

人物・略歴

東京都渋谷区生まれ。世田谷区立東大原小学校(現世田谷区立下北沢小学校)、世田谷区立北沢中学校、私立駒沢学園女子高等学校、トキワ松学園女子短期大学(現:横浜美術大学)卒業。独身(離婚歴あり)。小中学校時代は下北沢駅から数分のところに住んでいた。小学校時代は長野県で過ごした経験がある。

母の勧めで幼少期から「劇団いろは」に入団し、子役として主にテレビドラマに出演していた。

1980年、「3年B組金八先生」でクラスのアイドル的女子生徒・赤上近子役を演じた。

1981年9月1日に徳間ジャパンから「少女人形」でアイドル歌手としてデビュー。1980年代に一世を風靡した。八重歯がトレードマークであった。

その後は現代劇を中心にドラマに出演。時代劇にもレギュラー出演していた。

1984年にはレコード会社を徳間ジャパンからビクター音楽産業に移籍、1986年まで継続して音楽活動をした。その後は現代劇を中心にドラマに出演。時代劇にもレギュラー出演していた。1984年、叙情漫画家みつはしちかこ原作の「小さな恋のものがたり」でチッチ役としてラジオドラマやアニメで声優デビュー。

2002年、竹書房から発売された写真集でヘアヌードを披露(これが初のヌード)しファンに衝撃を与えた。

2006年7月31日、20年ぶりに歌手として復帰した。

2009年11月にビクター時代のシングル2作、2011年08月に徳間ジャパン時代のシングル5作がミュージックグリッドからMEG-CDで再発売された。

2010年3月、薬丸秀美、荻野目洋子、河合その子とともに資生堂の新CM発表会に登場し40代女性向け商品のPRを行った。

2012年4月18日、座・高円寺の舞台「裏の木戸は開いている」の稽古中に客席へ転落して足を骨折、全治2か月と診断され入院した。このため、同舞台は内容を一部変更して上演、6月出演予定の舞台「帰ってきた蛍〜慟哭の詩〜」を降板した。

2013年11月に徳間ジャパン時代、ビクター時代のオリジナル・アルバム6作(5枚目の『クレッシェンド』を除く)、2014年02月にライブ・アルバム1作がタワーレコード/ディスクユニオン限定で、デジタルリマスタリングした音源にアルバム未収録曲や未収録ヴァージョンなどをボーナストラックとして追加、歌詞カードにはシングル盤のジャケットなどを掲載し、再発売(内3枚は初CD化)された。

伊藤つかさの番組出演時間

伊藤つかさと労働基準法は切っても切れない縁がある。背景として法律上、芸能人を労働者とみなすべき存在であるか否かという議論があり、みなした場合には労働基準法の適用が行われ、15歳未満の者の20時以降(16歳から18歳までは22時以降)の労働は認められない。当時はまだこれに対する対処の手法が確立しておらず、テレビ局は手探りで自主規制として何時まで、また誰ランクまで許可すべきかを模索している段階であった。このためアイドル歌手としてデビューし、15歳未満で歌番組でのベストテン入りを果たした伊藤だったが、当時のベストテン番組は20時以降からの生放送番組だったため、この自主規制によって出演できなかったというエピソードがある。一例として『ザ・ベストテン(TBS系, 毎週木曜日21:00 - 21:54)』では本人に代わり等身大パネルを使用するという措置が執られた。後に伊藤自身はこの件に関して、極度のあがり症だったため、生放送の歌番組の出演には消極的で、辞退する口実として労働基準法を傘にしたと明かしている。後年そのことが大きな問題となり、若年アイドルの活動に大きな影響を与えたことについては、後悔しているという。


 

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