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水前寺清子



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Wikipedia

水前寺 清子(すいぜんじ きよこ、1945年10月9日 - )は、日本の女性演歌歌手、女優。本名は林田 民子(はやしだ たみこ)。身長158?、血液型O型。

人物

熊本県熊本市中央区の子飼商店街で生まれ、小学校まで同地で過ごす。熊本市立碩台小学校、洗足学園中学校・高等学校卒業。

芸名の水前寺は故郷・熊本市の水前寺成趣園から、清子は熊本ゆかりの戦国武将・加藤清正からそれぞれ取られている。愛称の「チータ」は、小柄だった水前寺を作詞家の星野哲郎が「ちいさなみちゃん」と呼んだことに由来する。動物のチーターとは直接の関係はないが、着物の柄などにチーターの衣裳を用いることがある。過去には長年にわたってサンミュージックプロダクションに所属していた。

見得を切りながらの歌唱は「んーにゃっ!」という語尾ひねりによって物まねされることが多いが、本人の癖はそれほど強くない。しかし、自らの物まねを意識してあえてひねることもある。

15歳時に出場した「コロムビア歌謡コンクール」に出場し2位になる。そのときに星野哲郎が水前寺に声を掛けたことが後のデビューのきっかけになった。その後、歌謡コンクールを主催したコロムビアで11回もレコーディングをしたものの、レコードデビューすることはできなかった。そこで、水前寺はクラウンレコードに移籍し、畠山みどりが歌う予定だった「袴を履いた渡り鳥」を畠山のキーのままで「涙を抱いた渡り鳥」とタイトルを変更した上で念願のデビューを果たした。

1970年からは民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%を記録したTBSのドラマ「ありがとう」に主演し、山岡久乃演じる母と娘(水前寺)の日常生活、石坂浩二との恋を演じた。プロデューサーの石井ふく子はこのドラマを構想以来、水前寺がTBSに歌の仕事に来るたびに局内の女子トイレで待ち構えて口説き、歌手しかやらないという水前寺をついに出演させた。しかし水前寺が歌手活動に専念したいとの意向で第3シリーズをもって降板し、第4シリーズは主演が佐良直美に交代となった。

1994年にサントリーフーズより清涼飲料水「C.C.レモン」が発売となり、そのCMソング「C.C.レモン」(商品と同名タイトル)を歌ったことで話題になる。

プロサッカークラブのロアッソ熊本応援イメージソング 「HIKARI 〜輝く未来へ〜」を歌った縁から、ロアッソのファンであることを自ら公言している。

「NHK紅白歌合戦」には1965年(16回)から1986年(37回)まで22回連続出場していた。その内紅組の司会を4回務めたことがあり、1960年代後半 - 1980年代にかけて、紅組内ではムードメーカー的存在であることが多かった。トリも1983年(第34回)に1度務めている。全盛を極めていた時代の紅白の象徴的な歌手であり、様々なエピソードが残されている(詳細は後述)。

また、健康日本21推進ウオーキング実行委員長、社団法人日本ウオーキング協会理事の役職も務めており、本業よりもそうした方面での活動も多くなっている。

2011年6月14日に広島で行ったコンサートでステージ中央の階段から落ち、左ひざをはく離骨折する大けがを負った。当日はそのまま公演を続けたが、翌15日に病院で診察を受けたところ、左ひざの骨折だけでなく、じん帯損傷も判明。担当医には「治るまでかなりの時間がかかる。絶対安静」と言われたという。自身のブログでは「大丈夫です。何とかいつものように、あちこちと動けるように努力してま〜す。あまり心配しないでください」とつづっている。

これまでに制作した衣装や着物などを自宅内に全て保管しておりごみ屋敷状態になってると、2015年10月5日放送の『私の何がイケないの?』で紹介されて、捨てずに整理する方法を提案されてから総勢13名が作業にあたり綺麗に片付いた。

略歴

  • 前史…水前寺の父、林田壽は熊本市内で化粧品・洋品店を経営していたが、過大投資が祟って破綻し、一家は夜逃げ同然に「あさかぜ」で上京、歌のうまい民子に将来を託した。
  • 1964年10月15日 『涙を抱いた渡り鳥』でデビュー。
  • 1965年 NHK紅白歌合戦に初出場。以降、1986年まで22回連続出場。

 

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