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根本匠

根本匠



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Wikipedia

根本 匠(ねもと たくみ、1951年〈昭和26年〉3月7日 - )は、日本の政治家、建設官僚。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、衆議院国家基本政策委員長。

衆議院予算委員長、厚生労働大臣(第21代)、復興大臣(第2代)、内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進及び食品安全委員会(仮称)等に係る施策担当)、内閣府副大臣、内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)、衆議院経済産業委員長、自由民主党福島県支部連合会長などを歴任した。

曾祖父は貴族院議員を務めた根本祐太郎。父は根本正良。

来歴

福島県郡山市生まれ。福島県立安積高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1974年、建設省に入省(道路局高速国道課)。建設省大臣官房政策企画官を最後に退官。

1993年、第40回衆議院議員総選挙に粟山明の地盤を継承し、自由民主党公認で旧福島1区(定数4)から出馬し、得票数2位で初当選した。当選後、宏池会に入会。1998年、小渕内閣で厚生政務次官に就任。2001年1月、党財務金融部会長代理に就任。2002年、第1次小泉第1次改造内閣で内閣府副大臣(経済財政、道路公団民営化、構造改革特区・産業再生機構など担当)及び内閣総理大臣補佐官(行政改革の推進と食品安全委員会(仮称)の設置担当)に任命された。2003年、衆議院経済産業委員長に就任。2006年、第1次安倍内閣で内閣総理大臣補佐官(経済財政担当)に任命された。

2009年の第45回衆議院議員総選挙では福島2区で、千葉7区から国替えをした民主党前職の太田和美に敗れ、比例東北ブロックでの復活も叶わず落選した。2010年、東北志士の会会長に就任。

2012年の第46回衆議院議員総選挙では、日本未来の党から出馬した太田らを破り、福島2区で6期目の当選を果たし、3年3ヶ月ぶりに衆議院議員として国政復帰した。選挙後に発足した第2次安倍内閣で復興大臣に任命され、初入閣した。また、2009年の総選挙落選者で自民党唯一の入閣である(公明党前代表の太田昭宏も先の総選挙で返り咲き、国土交通大臣として入閣)。2014年の内閣改造に伴い退任。同年12月の第47回衆議院議員総選挙で、7選。

2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で、8選。党金融調査会長、党税制調査会副会長、党東日本大震災復興加速化本部常任顧問、同本部福島会議代表、東京農業大学客員教授を務める。

2018年10月2日、第4次安倍改造内閣において、厚生労働大臣として再入閣。2019年1月22日、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」の不正問題で鈴木俊彦事務次官を訓告、担当部署の幹部を減給など幹部職員ら22人を処分し、自身も、大臣就任時からの4カ月分の給与と賞与の全額を自主返納すると発表した。

2020年1月、望月義夫の死去に伴い空席となっていた岸田派(宏池会)の事務総長に就任。

2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で9選。同年12月、岸田派の会長代行に就任。事務総長も兼任し、また衆議院予算委員長にも就任。

人物

統一教会との関係

  • 1995年に都内のホテルで行われた、統一教会幹部・朴普煕(パクポヒ)が開いたイベント「朴普煕博士『希望の日』晩餐会」に招待され、警視庁公安部が作成した捜査資料に名前が載っていた。真偽についてデイリー新潮が根本に尋ねると、出席については否定した。

政策


 

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