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柳亭燕路



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Wikipedia

柳亭 燕路(りゅうてい えんじ)は、落語の名跡。当代は7代目。

初代

初代 柳亭燕路は後の3代目春風亭柳枝。

2代目

2代目 柳亭燕路( - 1883年ころ?)は初代談洲楼燕枝の門下で燕花、3代目柳枝の門下で初代春風亭楓枝、初代春風亭柏枝を経て1882年に真打昇進、1883年1月に燕路を襲名。下谷車坂に住んでいた。本名は小南常次郎。

3代目

3代目 柳亭 燕路(1845年5月 - 1921年9月13日)は、生家は銀座の大工の棟梁の子で初代春風亭柳枝の門下で燕里、錦糸、維新前には浅草見附の太平木場の寄席で真打の看板を上げたという、明治に入りドサ廻りをし笑福亭語鶴の門下でちょん鶴と名乗ったこともあるという、初代燕枝の門下で燕之助、傳枝、錦枝、初代小燕枝、1874年に金原野馬之助、1879年に4代目土橋亭里う馬、2代目没後1883年ころに3代目燕路を襲名。長らくドサが多かったためにネタが豊富で「源平盛衰記」「俵藤太」などの地噺が得意であった、赤坂に住んでいたために「赤坂の燕路」という。明治末から大正期の柳派の古老のひとり、6代目三遊亭圓生の著書の「寄席育ち」に当時逸話などが詳しく紹介されている。享年76。本名は中村政吉。

4代目

4代目 柳亭燕路(生没年不詳)6代目林家正蔵の門下で林家正雀、1920年12月に五明楼春輔、1925年に真打昇進し4代目燕路を襲名。長らく地方巡業、昭和ひとけた代には巡業先の朝鮮京城に住んでいた。没年不詳。本名は小倉新次郎。

5代目

5代目 柳亭燕路(1886年12月28日 - 1950年6月25日)は、はじめ竹本玉太夫という名の義太夫語り、1911年11月に2代目三遊亭圓遊の門下で新遊、1916年2月に三遊亭圓輔、1917年12月に若圓遊、1918年10月に4代目春風亭柳枝の門下で4代目春風亭柳條、1932年6月に晴志、再度柳條を経て1943年11月に5代目燕路を襲名。

演目「抜け裏」の作者。享年64。本名は竹田新之助。

6代目


 

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