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コール・ポーター



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Wikipedia

コール・ポーターCole Porter、1891年6月9日 - 1964年10月15日)は、アメリカ合衆国の作曲家・作詞家。本名コール・アルバート・ポーター(Cole Albert Porter)。機知に富んだ都会的な詞で知られ、ミュージカルや映画音楽の分野で多くのスタンダード・ナンバーを残した。ミュージカル『キス・ミー・ケイト』は特に人気が高く、日本でも宝塚歌劇団でしばしば上演される。

来歴

インディアナ州生まれ。6歳でヴァイオリンを、8歳でピアノを習う。イェール大学在学中に大学公式応援歌『ブルドッグ』を作曲する。『ブルドッグ』はラグビーのタッチダウンが成功した時に歌われる。卒業後、ハーバード大学に入学するが、最終的に音楽家としての道を選ぶ。

1915年、ブロードウェイ・ミュージカル『Hands Up』に楽曲提供し、本格的に作曲家として活動を開始する。しかし、翌年手がけた『まずアメリカを見よ』が、2週間で打ち切られるという挫折を経験し、その後パリに渡る。1918年、リンダ・リー・トーマスと出会う。コールは自分が同性愛者であることを告白するが、リンダは結婚に応じた。ヨーロッパでも作曲活動を続け、1923年にはバレエ曲「Within The Quota」を作曲した。しかし、依然として成功に恵まれず、1920年代後半に帰国した。

1930年、ミュージカル『ザ・ニューヨーカーズ』(en:The New Yorkers)に「ラブ・フォー・セール」等の楽曲を提供した。この時も成功には至らず、逆に歌詞の内容が物議を醸しラジオ放送禁止となるが、「ラブ・フォー・セール」は後年スタンダード・ナンバーとなった。そして、1932年にはミュージカル『陽気な離婚(Gay Divorce)』が大ヒットする。ここでフレッド・アステアが歌った「夜も昼も」は、コールの代表曲の一つと目される。1936年には映画『踊るアメリカ艦隊』に「イージー・トゥ・ラヴ」等を提供し、映画音楽の分野にも進出した。

1948年、ミュージカル『キス・ミー・ケイト』が大ヒットし、トニー賞を受賞した。1958年には落馬による負傷が元で右足に潰瘍ができ、手術を繰り返した末に切断して義足を付ける。その後も多くの曲を作るが、1964年、腎不全のためカリフォルニア州サンタモニカで亡くなる。

代表作

  • 「アイ・ゲット・ア・キック・アウト・オブ・ユー(君にこそ心ときめく)」
  • 「アイ・ラヴ・ユー」
  • 「アイ・ラヴ・パリ」
  • 「アイヴ・ガット・ユー・アンダー・マイ・スキン(あなたはしっかり私のもの)」(en:I've Got You Under My Skin)(1936年) - フランク・シナトラやフォー・シーズンズにカバーされた。
  • 「イージー・トゥ・ラヴ」 - チャーリー・パーカーやハンク・モブレー等が取り上げた。
  • 「イン・ザ・スティル・オブ・ザ・ナイト」
  • 「エニシング・ゴーズ」
  • 「オール・オブ・ユー」 - マイルス・デイヴィスのレパートリーとなり、アルバム『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』に収録された他、初来日公演でも演奏された。モダン・ジャズ・カルテット、ビル・エヴァンス、キース・ジャレット・トリオ等も取り上げる。

 

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