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宮本裕向

宮本裕向



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宮本 裕向(みやもと ゆうこう、1982年5月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。広島県佐伯郡吉和村(現:廿日市市)出身。血液型B型。

経歴

高校入学後、暴走族に入り、半年で100人いるチームの特攻隊長となる。高校2年の1999年11月、マスメディアによって全国に大きく報道された「1999年胡子講暴挙事件」で暴走族50チームの最前線に立ち、衝突した機動隊に捕まえられて検挙される。息子を引き取りに来た警察署で号泣する母親を見て暴走族引退を決意し、高校も退学となる。その後は鳶職として働いた。

高校1年時の正月に偶然テレビで放送されていた新日本プロレス東京ドーム大会の金本浩二の試合を観てプロレスにハマる。以降、金本に憧れプロレスラーを志すようになる。

WMFに所属した練習生時代には、マンモス佐々木がスパーリングのパートナーを務めた。2003年8月2日、徳島市立体育館大会のvs藤田峰雄戦でデビュー。WMFを退団後は666に移籍し、特攻服を身にまとう「ヤンキーキャラ」として大日本プロレス等、さまざまな団体に参戦。

666やDDTなどでは、木高イサミとのヤンキータッグ「ヤンキー二丁拳銃」として活動。

2005年には、ZERO1-MAX大森隆男率いる「アックスボンバーズ」に参加。

2006年6月4日、大日本桂スタジオ大会の「デスマッチファイター募集」に真っ先に名乗りを上げ、念願のデスマッチデビューを果たした。同年9月、リアルジャパンプロレス後楽園ホール大会での「掣圏真陰流トーナメント」で総合格闘技に初参戦し、初優勝の快挙を成し遂げた。

その後はisamiと共に、葛西純&沼澤邪鬼の「045邪猿気違's」が開校した「スクール・オブ・デス」に入学し、デスマッチのノウハウを学ぶ。

2007年1月2日・2月26日の大日本・後楽園ホール大会において、メインの蛍光灯デスマッチで勝利したことにより、3月14日の大日本・後楽園ホール大会で佐々木貴の持つBJW認定デスマッチヘビー級王座への挑戦が決定。蛍光灯の他に出身地の広島で暴走族仲間だった鳶職人が当日、リングの外に設置する高さ5メートルの建築現場用足場を使う、「廣島 大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ 〜one night carnival〜」を提案。その試合において、佐々木貴とすさまじい死闘を繰り広げるも惜敗。しかしプロレス歴約3年半、デスマッチ歴約半年で著しい成長を遂げた宮本に、観客からは王者の佐々木貴より大きな声援と惜しみない拍手を送られた。そしてこの試合は、プロレス大賞ベストバウトにもノミネートされた。

その後、佐々木貴が邪猿気違'sから育成担当を引き継ぎ、更なる高みを目指して7月16日には桂スタジオ大会から「デスマッチ7番勝負」(後述)に挑戦。

2008年6月6日、同年5月19日に一般人女性と結婚していたことを発表した。

2008年12月19日、vsシャドウWX戦でBJW認定デスマッチヘビー級王座を奪還し、第24代デスマッチヘビー級王者となる。

2009年にはアメリカ合衆国のウエストバージニア州で行われた、IWAイーストコーストのデスマッチ選手権大会『マスターズ・オブ・ペイン』に初参戦。自身を含めて8名の選手らが参加したこの大会にあって、デボン・ムーアとダニー・ハボックを破って勝ち進んだ末に、遂には決勝戦でドレイク・ヤンガーを下してこの大会の第4代の覇者の座を獲得した。

2010年、入場曲「One Night Carnival」が氣志團公認のものとなる。

2013年は木高イサミとのヤンキー二丁拳銃で、大日本プロレスやDDTなどのタッグ戦線を大いに盛り上げた。

2014年6月15日、地元の広島大会で伊東竜二からBJW認定デスマッチヘビー級王座を奪取する。同年7月27日、ヤンキー二丁拳銃でWAVE認定タッグ王座を奪取する。


 

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