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鈴木みのる

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※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
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Wikipedia

鈴木 みのる(すずき みのる、本名・旧リングネーム:鈴木 実/読み同じ、1968年6月17日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家、総合格闘家。神奈川県横浜市出身。パンクラスMISSION、サンミュージックプロダクション。グッズ販売やイベント企画・運営を手掛ける株式会社パイルドライバー代表取締役。血液型B型。

来歴

新日本プロレス

横浜高等学校時代はレスリング部に所属。国体2位 という実績を残して1987年3月に新日本プロレスに入門。

1988年
  • 6月23日、飯塚孝之戦でデビュー。同年10月22日の飯塚戦で初勝利。前座戦線で佐々木健介と幾度となく対戦し好勝負を繰り広げる。
1989年
  • 3月、アントニオ猪木と対戦。同月に新日本プロレスを退団。

UWF

  • 4月3日にUWFと契約。
1989年
  • 5月に田村潔司のデビュー戦の相手を務め、UWFでの初白星。
1989年
  • 11月29日、骨折した船木誠勝の代役で東京ドーム大会「U-COSMOS」で、モーリス・スミスと異種格闘技戦で対戦したが、4ラウンドでKO負け。後に鈴木は「スミスの強さにビビって大観衆の前で泣いて自らリングに寝転がった」と語っている。
1991年
  • 3月、UWFを退団。

プロフェッショナルレスリング藤原組

3月、船木らとプロフェッショナルレスリング藤原組へ参加。

1991年
  • 4月1日、SWSと提携して行われた神戸ワールド記念ホール大会におけるアポロ菅原戦は、試合開始直後から互いに退け合うように鈴木は張り手を菅原は前蹴りを放ちまともに組み合おうとせず、その挙げ句菅原側がセメント行為を仕掛け、その行為に対して鈴木はコーナーに追い詰め頭突きを見舞い菅原はグーパンチで応戦。まともに試合が成立しないほど泥沼の様相に。レフェリーが間に入り、双方の反則に(頭突きとグーパンチ)注意を入れた所でそのジャッジに呆れた菅原がリングを降りて試合放棄した。
1992年
  • 10月、東京ドーム大会で、ソウルオリンピックのレスリング金メダリスト:ゴベリシビリ・ダビッドと対戦、裸絞めで勝利。
1993年
  • 1月、船木らと共に藤原組を退団。

藤原組はカール・ゴッチを顧問として据えており、ゴッチが直接指導することもあったため、ゴッチに傾倒したのもこの時期である。アメリカ人選手がゴッチのレクチャーを受けた際、「痛い、これじゃ鈴木じゃないか」とクレームをつけると、「私が鈴木であり、鈴木が私なのだ」と返答したこともあるなど、ゴッチもまた鈴木に大きな期待を寄せた。

パンクラス

  • 8月、パンクラスを船木らと共に旗揚げ。
  • 9月21日、パンクラス旗揚げ戦の第1試合にて稲垣克臣にチョークスリーパーで勝利。
  • 11月、神戸大会でモーリス・スミスとキックボクシングルールで対戦し3RでTKO負け。
1994年
  • 5月、日本武道館大会でスミスと再戦し、3Rに腕ひしぎ十字固めで勝利。U-COSMOSから5年越しの雪辱を果たした。
  • 7月、バス・ルッテンと対戦し、膝蹴りでKO負け。
  • 10月、両国国技館大会で船木誠勝と対戦し、チョークスリーパーで一本負け。
1995年
  • 4月、愛知県武道館大会でフランク・シャムロックと対戦し、スリーパーホールドで一本負け。
  • 5月、NKホール大会では王者のケン・シャムロックを破り、第2代キング・オブ・パンクラシストとなる。

 

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