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カプコン

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Wikipedia

株式会社カプコン(英: CAPCOM CO., LTD.)は、大阪府大阪市中央区内平野町に本社を置く主にアーケードゲームやコンシューマーゲームの開発・販売を行う日本のゲームソフトウェアメーカー。コンピュータエンターテインメント協会・日本アミューズメント産業協会正会員。

概要

1979年、アイ・アール・エム(IRM)株式会社として設立した。1981年9月に「サンビ株式会社」に商号を変更し、本店を大阪府羽曳野市に移転した。

設立者はIPMの代表取締役だった辻本憲三で、当時のIPMはスペースインベーダーブームの際に社運をかけ、社名を冠した『IPMインベーダー』を発表するもののインベーダーの筐体の市場は1年ほどで飽和状態に陥いる。その状態で下請けから製造の継続を求められ断れなかった。結果10億円分の在庫を多く抱えてしまった。IPMはアイレムと社名変更して仕切り直しを図ろうとする。辻本は同事業に続き、オリジナルゲームの製作に乗り出そうとする。しかし、当時まだコピーゲームがメインだったアイレムで辻本の意見は社内の理解が得られず、結果的に1983年2月3日 辻本を含む3人が退社した。この際インベーダー関連の在庫で被った負債を支払っている。

10億円の借金により自宅さえも売り払い燻っていた辻本は、タイトーの社長ミハエル・コーガンより「お金を出すからビジネスをやってみないか」と言われ、コーガンより1億5千万円を借り、それを元手に新規に会社を立ち上げることになり、(旧)株式会社カプコンを設立した。なお、カプコンという社名は1981年5月にIRMの子会社として設立した「日本カプセルコンピュータ」に由来する。

オリジナルゲームを作ることを目的に設立されたが、当初は開発者こそ多く抱えたものの開発ラインが整わず、比較的安易に製作が可能だったエレメカ(メダルゲーム)で業界に参入する。ビデオゲームとしてはその翌年の1984年発売の業務用縦スクロールシューティングゲーム『バルガス』が第一弾となるが、その後コナミからの転職組藤原得郎、岡本吉起により、名作と謳われるゲームが次々と開発され、徐々にゲーム会社としての知名度を上げていく。ただし、後の『ストリートファイターII』ブームが訪れるまで、経営的には火の車だったという。なお、ゲームの完成度の高さから当時「カプコンのゲームはナムコ(後のバンダイナムコエンターテインメント)から移籍した人間が作っている」という噂がまことしやかに囁かれていたが、デマであった。岡本はこの噂に触れ、自分の作った作品がそう評価されるのは嬉しいと発言している。なお、グループの販売部門を担当する会社としての役割もあった。

その後、数度の経営危機を乗り越えながらも数多くのヒット作を生み出している。他の同業メーカーよりも社内の世代交代のサイクルが早いのが特徴でもあり、2000年代以前にヒット作を手がけたゲームデザイナーなど主要な人物の大半は既に退社、独立している。

2018年4月の時点で現在社員3000人、顧客の20%が日本、80%が海外となっている。

事業所

  • 本社 - 大阪府大阪市中央区内平野町3丁目1番3号
  • 研究開発ビル - 大阪府大阪市中央区内平野町3丁目2番8号
  • 研究開発第2ビル - 大阪府大阪市中央区内平野町3丁目1番10号
  • 東京支店 - 東京都新宿区西新宿2丁目1番1号 新宿三井ビルディング
  • 上野事業所 - 三重県伊賀市治田3902番地
  • クリエイティブスタジオ - 大阪府大阪市中央区城見二丁目1番61号

実績

アクションゲーム、対戦型格闘ゲームの雄として『ストリートファイター』、『魔界村』、『ロックマンシリーズ』、『ファイナルファイト』、『機動戦士ガンダム vs.シリーズ』、『デビルメイクライシリーズ』、『鬼武者』、『モンスターハンターシリーズ』、『大神』、『ビューティフルジョー』、『ヴァンパイア』などの傑作を多数製作している。

中でも1991年にアーケード用ゲームとしてリリースした対戦型格闘ゲーム『ストリートファイターII』では、アーケードゲーム業界において「スペースインベーダー以来」とも呼ばれる大ブームを巻き起こし、『ブロックくずし』より後に創業したアーケードビデオゲーム会社としては、唯一かつ最大の大手メーカーとなった。


 

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