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板尾創路

板尾創路



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Wikipedia

板尾 創路(いたお いつじ、1963年〈昭和38年〉7月18日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、映画監督。お笑いコンビ・130Rのボケ担当。相方はほんこん。大阪府富田林市出身。吉本興業所属。NSC4期生。

父は川柳家の板尾岳人。既婚。身長177 cm、体重62 kg。

経歴

ケーキ店「パルナス」三国ヶ丘店(堺市堺区)に勤める両親の息子として生まれる。私立柏原高校(現:東大阪大学柏原高等学校)卒業後、蓬?に就職するもしばらくして退職、その後は色々な職を経験し、10代のころにケーキを持って島田紳助の家にいきなり押しかけ、弟子入りを志願したことがある。紳助には当時すでに弟子が1人いたため断られるが、吉本興業のタレント養成所であるNSCへの入学を勧められ、のちに同校の第4期生として入学した。

NSCでは「ホンコン・マカオ」というコンビを組み、「ホンコン」の芸名を名乗ったがほどなくコンビ解消。のちに同期の蔵野孝洋(現・ほんこん)に「ホンコン」の名を譲り渡した(ほんこん参照)。

その後、ダウンタウンが司会を務めていた『4時ですよーだ』(毎日放送)に出演していたが、1991年よりフジテレビ系列『ダウンタウンのごっつええ感じ』にレギュラー出演したのを機に、全国にその名を知られるようになる。

1994年に18歳未満の少女(当時14歳)と淫行をしたとして、青少年保護条例違反容疑で逮捕され、罰金30万円の刑を受ける。このことにより一時期芸能活動を自粛することとなった。しかし、相手の少女が別件で補導された際に板尾との関係を切りだし、18歳以上であると偽って交渉したことが明らかになったことや、松本人志(ダウンタウン)からの働きかけもあり、プロダクションの専属契約解除までには至らず、その結果、年内いっぱいの芸能活動を謹慎する処分を受けるに留まった。

私生活では1998年に東京で知り合った8歳下の一般女性と結婚。2007年9月21日に長女・英美が誕生するも、乳幼児突然死症候群で2009年8月16日に急死。2012年6月に次女が誕生している。

2001年、木村祐一と漫才コンビ「イタキム」を結成して『M-1グランプリ』に出場、3回戦まで勝ち進んだ。

2003年、脚本に宮藤官九郎、演出に倉本美津留を迎えてひとり舞台の公演、板尾創路インテリジェンス(略してIII)を行った。

テレビドラマや映画、舞台など、俳優としても活動している。特に2005年辺りからは役者の活動が目立ち自身もインタビューで「もう僕らの時代じゃない」「笑いに未練もない」と語っている。

2010年3月、約9年ぶりに木村祐一と2人きりの舞台であるトークライブ「ざっぱ」が開催され、以降も定期的に開催されている。同年10月からは『板尾ロマン』(テレビ東京)がスタートし、自身の番組では在京キー局初の冠番組を持つことになった。

人物・エピソード

独特な発想には定評があり、『ごっつええ感じ』では「板尾係長シリーズ」の一言ネタコーナー、『虎の門』のコーナー「しりとり竜王戦」で最多優勝数を誇るなど大喜利を得意とする。『ケータイ大喜利』では審査委員長の肩書きを持ち、『IPPONグランプリ』の第13回大会では初参戦ながらレジェンド扱いで博多大吉や千原ジュニアからは板尾と並んで大喜利に挑むことへの喜びと緊張を語った。『ガキの使い』での「板尾いちゃもんシリーズ」「板尾の嫁シリーズ」では、あまりの迫真の演技だったため、しばらくの間は周囲の人間から「板尾は性格が捻じ曲がっている」と思われていたという。

『ネプリーグ』(フジテレビ)では2010年8月23日の放送で、『AKB48のメンバー フルネームで答えよ』という問題が出されるが、呆然と立ち尽くし、制限時間を丸々使い果たした。時間切れの寸前に『秋元康!』と答えた。2022年9月26日の放送で、トニートニー・チョッパーから、『ワンピースのキャラクターの名前 10人全員答えてくれ!』という問題でキャラクターを知らず、?番のモンキー・D・ルフィを、「モンキー・D・モンキー」「モンキー・D・ディース」などと答えたが、最後に?番に変え、ロロノア・ゾロを髪の色が緑だから、「ロロノア・グリーン」と答え、タイムアップになってしまった。


 

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