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安寿ミラ



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Wikipedia

安寿 ミラ(あんじゅ ミラ、1960年3月30日 - )は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組トップスターで、現在は振付家ANJUとしても活動する。

愛称は「ヤン」(姓が「ばば」だったので当初の愛称「ババやん」から転じた)。長崎県長崎市出身。現在の公称身長165センチ。血液型B型。梅田芸術劇場と業務提携。

略歴

5歳からクラシック・バレエやジャズダンスを始める。活水高等学校卒業後、1978年に宝塚音楽学校に入学する。1980年、66期生として宝塚歌劇団に入団し『恋の冒険者たち/フェスタ・フェスタ』で初舞台、同期にこだま愛(元月組トップ娘役)や毬谷友子など。芸名の姓は安寿が敬愛していた安奈淳と寿ひずるに由来したという。花組に配属した。

下級生の頃は1年後輩の真矢みきが注目されていたこともあり、あまり目立たなかったが、ダンスにも優れ、段々と実績が認められスター街道を歩むことになる。

1989年の星組『ベルサイユのばら』では役代わりでオスカルの一人に選ばれて特別出演した。続いて翌1990年の花組『ベルサイユのばら』にもオスカル役で出演した。1991年の朝香じゅんの退団に伴い花組2番手に昇格、続いて大浦みずきの後任としてトップスターに就任。翌年の1992年『白扇花集/スパルタカス』がお披露目となる。相手役は森奈みはる。

前任の大浦から続く「ダンスの花組」を継承した。また二番手となっていた真矢との演劇・ショーでの「男同士のコンビ」は花組、ひいては宝塚の呼び物となり、「ヤンミキ」という名で知られている。

1994年のロンドン公演参加と宝塚80周年を機に、12月に退団を発表した。その時は男役へのこだわりから、芸能活動を続ける気はなく「退団後は故郷でバレエを教えてもいいかな」と思っていた。ところが、1995年の退団公演『哀しみのコルドバ/メガ・ヴィジョン』の宝塚大劇場公演期間中に阪神・淡路大震災がおこり、大劇場は公演不能に陥る。そのために一度は自分のサヨナラ公演開催を諦めたが、当時の月組トップ天海祐希と雪組トップ一路真輝が「自分らの日程を削ってでもヤンさん(安寿ミラのこと)の最後の舞台をやらせて下さい」と歌劇団に要望し、さらに演歌歌手の細川たかしが同年3月に劇場・飛天(現・梅田芸術劇場)で行った自分の1か月公演スケジュールの半分を安寿に譲ったことなどもあり、公演の続きが劇場・飛天で行われた。その上に「安寿の大劇場さよならショーなくしては宝塚歌劇の完全復活はない」と、大劇場でのさよならショー上演を求める全国のファンからの署名活動も展開され、同年5月4日と5日に『安寿ミラ 宝塚大劇場 さよならショー』が実現、5日にはサヨナラパレードが行われて、これを最後に宝塚歌劇団を退団した。

一度は諦めた自身のサヨナラ公演が仲間たちやファンなどの後押しで実現したこともあり、「自分一人(の力だけ)では何も動かせなかった。自分として多くの方々に対して何か恩返しできることはないだろうか」と考えた安寿は、「やはり自分が俳優として舞台に立つことが一番だ」と心に決めて芸能活動を続けることを決意する。

1996年2月、BROADWAY MUSICAL『レイディ・イン・ザ・ダーク』で女優として再スタートした。以来、ミュージカル、ストレートプレイ、ダンスコンサート、ディナーショーなど、舞台を中心に女優として活動する。また振付家「ANJU」としても活動し、古巣・宝塚歌劇団の振付にも携わっている。

宝塚歌劇団時代の主な舞台

1980年

  • 3/27-5/13 星組「恋の冒険者たち」「フェスタ・フェスタ」《大劇場》
  • 11/14-12/21 「友よこの胸に熱き涙を」「ザ・スピリット」《大劇場》
  • 12/12 新公「友よこの胸に熱き涙を」《大劇場》

1981年


 

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