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スティーヴ・ライヒ

スティーヴ・ライヒ



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Wikipedia

スティーヴ・ライヒ(Steve Reich、1936年10月3日 - )は、ミニマル・ミュージックを代表するアメリカの作曲家。母は女優のジューン・キャロル(旧姓・シルマン)。異父弟に作家のジョナサン・キャロル。

人物

ドイツ系ユダヤ人移民の父親と東欧系ユダヤ人の母親の子として生まれる。最小限に抑えた音型を反復させるミニマル・ミュージックの先駆者として、「現代における最も独創的な音楽思想家」(ニューヨーカー誌)と評される。同じ言葉を吹き込んだ二つのテープを同時に再生し、次第に生じてくるフェーズ(位相)のずれにヒントを得て、『イッツ・ゴナ・レイン』(1965年)、『カム・アウト』(1966年)などの初期の作品を発表。

1990年、『18人の音楽家のための音楽』(1974年-1976年)、ホロコーストを題材として、「スピーチ・メロディ」と呼ばれる手法を確立した『ディファレント・トレインズ』(1988年)により2つのグラミー賞を受賞。1993年には、「21世紀のオペラはこうあるべき」(タイム誌)と評された『ザ・ケイヴ』(『The Cave -洞窟-』)を発表した。

2006年、第18回高松宮殿下記念世界文化賞の音楽部門を受賞。2009年、『ダブル・セクステット』でピューリッツァー賞 音楽部門を受賞。2008年度の「武満徹作曲賞」審査員を務め、18人の音楽家のための音楽の自作自演を行った。

なお、日本国内ではドイツ語式に「ライヒ」と表記されるが、本国アメリカ合衆国では一般的に「ライシュ」または「ライク」と発音される。種々のインタビューやコンサート・トークにおいて、本人は「ライシュ」と発音している。ただし最近のTV番組などでは、ナレーターなどによりあえて「ライヒ」と発音されるケースもある。

初期・フェイズ・シフティング

ライヒは1957年にコーネル大学哲学科で学士号を取得した後、1958年から1961年までニューヨークのジュリアード音楽院に在籍し、ウィリアム・バーグスマらに師事。1961年から1963年までは、カリフォルニア州のオークランドにある、ミルズカレッジでルチアーノ・ベリオとダリウス・ミヨーの元で学び、修士号を取得した。ライヒの作品、特に『ドラミング』(1971年)では、アフリカ音楽の影響が色濃く、ライヒは特にAM・ジョーンズによる、ガーナのエヴェ族に関するアフリカ音楽の研究から影響を受けていた。やがてライヒは、ドラミングの研究のためにガーナを訪れるようになり、1970年にはガーナ大学アフリカ研究所でドラミングを集中して学んだ。また、ライヒは1973年から1974年にかけてシアトルでバリ島のガムランの研究も行った。さらにユダヤ人としての自らのルーツを探るようにヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学ぶことで、「言葉が生む旋律」を再発見していく。

中期・オーグメンテーション

『ドラミング』以降、ライヒは自分自身が先駆者であった"フェイズ・シフティング"の技法から離れ、より複雑な楽曲を書き始める。彼は他の音のオーグメンテーション(あるフレーズやメロディの一部の音符を一時的に増幅させ、繰り返したりすること)のようなプロセスを用いる方へ移行する。『マレット楽器、声およびオルガンのための音楽』(1973年)のような作品を作曲したのはこの時期である。

特に『4台のオルガン』(『フォー・オルガンズ』)では、オーグメンテーションが用いられており、1967年に作曲された Slow Motion Sound はそのプロトタイプともいえる。この曲は演奏されたことはないが、録音された音や声を、音程も音質も変えずに、音を元の長さの数倍になるまで遅く再生するアイディアは、『フォー・オルガンズ』でも採用されている。その結果、4台のオルガンがそれぞれ特定の8部音符を強調しながら、11thの和音を奏で、マラカスがテンポの速い8部音符のリズムを刻む立体的な音の空間を持った曲が出来上がった。リズムが変化し、繰り返される手法が使われている。この曲は、初期のライヒの作品が循環的であるのに対し、直線的である点が異質で特徴的である。

1974年には、ライヒはライヒを知る大多数の人々から重要であると位置づけられる作品、『18人の音楽家のための音楽』を書き始めた。初期の作品の持つ作風へ戻りつつも、この作品には多くの新しいアイディアが含まれている。曲は11のコードのサイクルを基本としており、それぞれのコードには短い曲がそれぞれ割り当てられ、曲の終わりには元のサイクルへと戻っていく。セクション(楽曲内の区切り)は"Pulses"、 Section I-X、再び"Pulses"と名づけられている。ライヒにとっては、大人数のアンサンブルのために書いた初の試みであり、演奏家が増えることによって音響心理学的な効果はより大きなものとなり、その効果に夢中になったライヒは「もっとこのアイディアを探求したい」と語っている。また、ライヒはこの作品は過去に書かれたどの作品よりも、最初の5分間に含まれるハーモニーが豊かであるとも語っている。

同じ年に、ライヒは彼自身の哲学、美学、1963年から1974年の間に作曲した作品についてのエッセイが収録された本"Writings About Music"を出版した。2002年には"Writings On Music (1965-2000)"として、新しいエッセイが収録された本も出版されている。

後期・囁かれだした民族主義

1976年から1977年にかけては、ライヒはドイツ系ユダヤ人である自らのルーツを探るように、ニューヨークとエルサレムにて、ヘブライ語聖書の伝統的な詠唱法を学んだ。1981年に作曲された『テヒリーム』は、ヘブライ語で詩篇もしくは賛歌を意味するタイトルが示す通り、ヘブライ語のテキストを女声が歌い上げる、4部に分かれた曲である。


 

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