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森 勇介(もり ゆうすけ、1980年7月24日 - )は、静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。
中学時代は清水エスパルスジュニアユースチームに所属。清水東高校時代は高林佑樹と同級生で同卒業後1999年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)へ入団。
2001年、当時J2のベガルタ仙台へ移籍し、右サイドバックのレギュラーとしてチームのJ1昇格に貢献。だが、警告・退場が多いため2002年のシーズン途中で安藤正裕と入れ替わるかたちで選手登録を抹消され事実上の解雇となった。
その後、京都パープルサンガを経て2005年に川崎フロンターレに移籍。同年11月20日のセレッソ大阪戦ではベンチから審判に向かって暴言を吐いたとして、試合に出場していなかったが退場処分となった。
2007年3月17日の横浜FC戦で、途中交代の際にピッチ際の給水ボトルを蹴飛ばし、2度目の警告を受けて退場となった。翌日には頭を丸刈りにして反省の弁を述べたものの、川崎はこの問題に対し、直後の試合であるAFCチャンピオンズリーグ・バンコク・ユニバーシティ戦のメンバーから外した。
2009年7月11日のアルビレックス新潟戦において、左肘で松下年宏の顔面を打った行為とレッドカードを受けた後の態度・振る舞いが「暴行・脅迫および一般大衆に対する挑発行為」であるとして2試合の出場停止処分を受けた。8月1日、FC東京との多摩川クラシコで前半にマッチアップしていた長友佑都に対して肘打ちをした映像がJリーグアフターゲームショーで取り上げられ、野々村芳和が苦言を呈した。さらに11月3日のナビスコカップ決勝でFC東京と対戦して敗れ準優勝に終わったが、その表彰式において川崎の一部選手が不適切な行動をとったことが問題となった。その際にガムをかみながら表彰式に臨んだ森は特に問題視されたため、チームは1試合の出場停止処分を下した。
2010年5月16日のジュビロ磐田戦では、ボールのないところで朴柱昊を蹴ったことが「乱暴な行為」、審判員の目の届かない場所で当該行為に及んだことが「その他、きわめてスポーツマンらしくない行為」に相当するとされ、2試合の出場停止を受けた。同年9月29日のナビスコカップ準決勝1stレグの磐田戦では、試合開始早々に同じく朴にかなり悪質なタックルを仕掛け、朴は腓骨を骨折し負傷退場となった 12月7日、川崎の公式サイトにて来季の契約を更新しないことが発表された。
2011年、古巣である東京ヴェルディへ11年ぶりに復帰。東京Vでは早速右サイドバックのレギュラーに定着した。
2012年、キャプテンを務めていた小林祐希が磐田に期限付き移籍した後はキャプテンの座を引き継いだ。
2014年8月、FC岐阜へ期限付き移籍。
2015年、SC相模原へ完全移籍。6月14日のグルージャ盛岡戦では倒れている相手選手に膝部分を押し付け、右足首付近を踏みつけた行為が「選手に対する暴行・脅迫および一般大衆に対する挑発行為」に相当すると判断されて退場処分となり、史上初のJ1・J2・J3全カテゴリーでの退場経験者となった。さらに、10月4日のレノファ山口FC戦でも肘打ちを行って退場処分となり、8日に残り全6試合の出場停止処分を科された。これによって自身通算14度目の退場処分となり、Jリーグ最多記録を更新した。シーズン終了後、SC相模原を退団。
2016年、沖縄SVに選手兼コーチとして加入。
2018年11月、沖縄SVから退団すると発表された。
現役引退後2020年、東京ヴェルディのジュニアユース部門でコーチを務めた。翌年以降は青山学院大学、帝京大学でコーチを務めた後、2022年現在、ソルティーロ・ファミリア・サッカースクール新豊洲校でコーチを務める。