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雷門助六



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
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Wikipedia

雷門 助六(かみなりもん すけろく)は、落語家の名跡。当代は9代目。3代目から4代目はつまびらかではない。

  • 初代雷門助六 - 後?二代目立川金馬
  • 二代目雷門助六 - 後?三代目立川金馬
  • 三代目雷門助六 - 俗称を金五郎。四代目三笑亭可楽の門下で古楽を名乗る。初代談洲楼燕枝の門下で團洲楼燕寿となるが再び4代目可楽の門下で三代目助六を経て四代目金馬となった。あだ名は「ヒョットコ」。1875年・1876年の名簿には名前が出ている。若くして亡くなったらしく明治一ケタ代に没している。
  • 四代目雷門助六 - 三代目立川金馬の実子。六代目桂文治の門下で文魚となる。後の三代目古今亭志ん生が助六を襲名した後、当時横浜で塗師屋をしていたこの文魚が六代目文治を通して苦情を言い、二・三代目の墓を管理するという条件で、塗師屋をしていた文魚が四代目とし、後の三代目志ん生は五代目の助六とすることになったという記事が、雑誌『文芸倶楽部』24巻2号に残っている。
  • 五代目雷門助六 - 後?三代目古今亭志ん生

6代目

6代目雷門 助六(1882年9月9日 - 1934年5月6日)は、東京出身の落語家。本名は青木 鏡太郎。8代目助六は弟子で実子。

  • 東京本郷の生まれ。
  • 生家は水戸徳川家直属の請負師。
  • 一時沼津に住む。
  • 学校を出てすぐ11歳で伯父の草履屋に奉公に出ていたがまともに勤まらなかった。
  • 15歳の1897年ごろに母の弟であった4代目柳亭左楽(オットセイの左楽)の門下に入って左太郎となる。
  • 約5年ほど前座修行を経て1902年に二つ目で左市に改名する。
  • 1904年、5代目助六(後の3代目志ん生)門下に移って3代目都家歌六の名で真打に昇進する。
  • その後日露戦争に従軍したが復員。
  • 明治の末には上方にも出向いた。

兄弟子に後の4代目古今亭志ん生(当時:雷門小助六)がいた。本来この小助六が助六の名跡を継ぐべきところであるが、歌六は小助六に金二十円を支払って助六を名乗る権利を譲ってもらい、1910年12月に晴れて6代目助六となった。

関東大震災被災後は一時下谷佐竹通りに寄席「六三亭」を経営。1933年に引退を表明。引退興行名目で地方を巡業中に静岡入道館出演中に行われた地元新聞社主催の仮装大会出演のためにで着替え準備直後に脳出血に倒れ入院、そのまま意識を回復することなく亡くなった。満51歳没。墓所は杉並区立法寺。戒名は「本覚院法音日鏡居士」。


 

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