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IZAM(イザム、1972年(1976年)4月23日 - )は、日本のミュージシャン、タレント、俳優。本名は日根 良和(ひね よしかず)。
東京都府中市出身。身長180cm。血液型はO型。東京都立松が谷高等学校卒業。ベニバラ兎団主宰。日本芸術専門学校特別講師。妻は女優の吉岡美穂。父は元国鉄スワローズ投手の日根紘三(ひね こうぞう)。
子供の頃からジャッキー・チェンに憧れて、俳優になりたかった。まだ、中学・高校時代はバレーボール部に所属し、中学時代はキャプテンを務めた。
1993年に新宿で知り合ったメンバーとロックバンド「SHAZNA」を結成し、ボーカリストとして活動。
インディーズ時代は名義が幾度も変わり
「葵翠(Kisui)」(※SHAZNA Gt.A・O・I加入以前)※ファンサイトなどで、ごくまれに翡翠(ひすい)であったとされる記録があるが、正しくは葵翠(きすい)である。参照:Demo tape『Phenomena/Solitary』
「IZANE」(※SHAZNA Gt.A・O・I加入後からDemo Tape 『SHAZNA』 まで)
「IZAM?」(※SHAZNA 1st Mini Album 『Sophia』 まで)
「IZAMU」(※SHAZNA 3rd Mini Album 『Raspberry Time』 まで)名義であった。
SHAZNAのインディーズラストアルバム『Promise Eve』より現「IZAM」名義となった。直筆サインもそれぞれ異なっていた。
学生時代にカルチャー・クラブのボーイ・ジョージに影響を受けたルックスでインディーズ時代から強い支持を得、1997年にシングル『Melty Love』でメジャーデビュー。同年、一風堂の『すみれ September Love』をカバーし大ヒットを記録。SHAZNA全盛期のスタイルはボーイ・ジョージの影響が大きいと語っており、この際の服装を今でも「女みたいな服装」といじられネタにされる事が多い。なお、女装しなくても素顔自体が中性的な顔立ちで、これを維持するために「女性ホルモンを入れている」とテレビ番組で告白したと雑誌が報じたが、本人自身が事実無根であると否定した。彫りの深い顔立ちで一見ハーフのように見えるが生粋の日本人である。
1999年2月、吉川ひなのと結婚するが、同年9月に離婚。
1999年4月に『saku saku morning call』のMCに就任。その際に予算がない旨を言い渡され、せめて人形と司会をさせてくれと懇願したことから「フトモモ」が誕生し、後の増田ジゴロウや白井ヴィンセント誕生の布石となる。また同番組は1週間分を一度に収録したが、曜日ごとに衣装を替えたのは歴代MCで彼だけである。また、紡木たくの漫画『ホットロード』の影響でバイクに乗ったり、ガンプラの中で特にジムを16体も作った少年時代を語っている。
2000年10月にバンド活動を休止してからはソロ・アーティストとして活動する一方、堤幸彦監督の映画『チャイニーズ・ディナー』(2001年)『溺れる魚』(2001年)に俳優として出演、2002年には初の執筆小説『ミラー・ボーイ』を出版するなど、他分野にも活動を広げる。2001年に日本映画批評家大賞新人賞を受賞した。2005年、日本テレビ系『(秘)ひらめ筋』でトリノオリンピック出場を目指してスケルトンに一から挑戦し、競輪学校で特訓を受けるなどした。
2006年6月、SHAZNAがメジャーデビュー10周年を翌年に控え6年ぶりの活動再開を発表。同年9月5日のDUO MUSIC EXCHANGEで復活ライブを行う。2007年4月にはニュー・シングル『心』が発売される。IZAMはそのトレードマークであった女装の封印を決断した。なお、2006年にSHAZNA再始動をしたのと並行してバンドalcali-5を結成。同バンド内においては「十六夢(読み:いざむ)」名義で活動していた。
2006年11月9日、タレントの吉岡美穂と再婚。この時、吉岡は妊娠3か月だった。