お得な公演チケットサイト Confetti(カンフェティ)

シャルル・フェルディナン・ラミューズ



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

シャルル=フェルディナン・ラミュ(Charles-Ferdinand Ramuz フランス語発音: [?amy]、1878年9月24日 - 1947年5月23日)は、スイスの小説家。

スイスのフランス語圏を代表する作家であり、1997年以降200スイス・フラン紙幣の肖像として使われている。

日本では古く「ラミュズ」と呼ばれていた。近年の翻訳では「ラミュ」になっているが、音楽関係を中心にいまだに「ラミューズ」と表記されることが多い。

生涯

ラミュはローザンヌの商人の子として生まれた。1897年にローザンヌ大学の法学部に入学するが、父に無断で文学に専攻を変更した。1900年に学位を取得した。

1900年から1914年にかけてパリに滞在した。モーリス・ド・ゲランに関する博士論文を書くという口実だったが、実際には論文はまったく書かず、文学仲間と交流したり、絵画を鑑賞したりして過ごした。この時代に詩集『小さな村』(1903)、小説『アリーヌ』(1905)にはじまる文学作品の公刊を開始した。

1913年にセシル・セリエと結婚した。1914年にパリを去り、それ以降はスイスのヴォー州で生涯を送った。

1921年にアルベール・チボーデがラミュの『ジャン=リュックの受難』(1908初版)を高く評価して以来、フランスでも注目されるようになった。

1930年にロマン賞を授与され、賞金をもとにローザンヌ近郊のピュイイに家を建てた。

1936年に小説『デルボランス』によってシラー賞を授与された。

1940年以降にメルモ社から最初のラミュ全集が出版された(全20巻。ラミュ没後の1954年に3巻追加)。

1947年にピュイイで没した。

ストラヴィンスキーとの関係

第一次世界大戦中にイーゴリ・ストラヴィンスキーはスイスのヴォー州に滞在しており、指揮者エルネスト・アンセルメの紹介で1915年9月にラミュと会った。共同作業がしやすいように、ストラヴィンスキーはローザンヌに近いレマン湖北岸のモルジュに引っこし、戦後も1920年5月まで住んだ。当時ストラヴィンスキーはピョートル・キレーエフスキーおよびアレクサンドル・アファナーシェフの民話集をもとに声楽曲を作曲しており、ラミュはそれらをフランス語に翻訳した。

ストラヴィンスキーとの共同作業は『きつね』の翻訳にはじまり、『結婚』の翻訳、『兵士の物語』の台本、および『プリバウトキ』『猫の子守唄』『子供のための3つのお話』『4つのロシアの歌』などの歌曲集の歌詞の翻訳がある。

とくに1918年に初演された『兵士の物語』はロシア民話にもとづいているものの、ラミュによる発案の部分が多いと考えられている。『兵士の物語』に見られる田舎の価値観と現代的生活の対立という主題はラミュの作品にはなじみ深いものだが、ストラヴィンスキーはそれまでそのような作品を書いたことがなかった。

当時の様子について、ラミュはのちに『ストラヴィンスキーの思い出』(Souvenirs sur Igor Strawinsky, 1929)という書物を書いている。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。