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坂本浩一

坂本浩一



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坂本 浩一(さかもと こういち、1970年9月29日 - )は、日本・アメリカ合衆国・ニュージーランドで活動するスタントマン、映画監督、プロデューサー、コンテ・マン。アルファスタント所属。プロデューサー及び演出家としてはフリーランス。東京都足立区出身。足立区立東綾瀬中学校、専修大学松戸高校卒。

角川書店や富士見書房に所属する坂本浩一とは、同姓同名の別人である。

来歴

足立区千住で生まれ、五反野で育つ。小学校3年時に埼玉県八潮市に転居。実家はアルミニウム関係の会社を経営している。

小学3年生時に『ドランクモンキー 酔拳』を見たことがきっかけでジャッキー・チェンに憧れ、高校1年時に倉田アクションクラブに入門し、16歳からスタントマンとしての活動を開始する。入門に際し、「30歳までに成功しなければ家業を継げ」と父から言われたという。

クラブでのトレーニングを経てキャラクターショーでデビュー。新人時代は小柄な体型だったため、ショーでは戦闘員と兼役でピンクなどの女形を演じていた。

高校卒業後、映画監督になるために渡米を決める。その理由として、日本の大学に魅力を感じなかったことや、ロサンゼルスでの短期滞在中にその土地柄に感銘を受けたことなどを挙げている。

1988年秋に倉田アクションクラブの活動を中止し、1989年4月に留学生として渡米。カリフォルニア州立大学ロサンゼルス校付属語学学校で英語を学んだ後、1990年2月にグレンデール・コミュニティ・カレッジに入学(後に南カリフォルニア大学に編入)。カレッジ在学中、ジェフ・プルートと知り合ったことがきっかけで『アンダーカバー』に彼の個人アシスタントとして参加。

同作品のプロデューサーと監督がプルートの補佐としてアクションを実演している坂本の動きを評価し、正規のアシスタント・スタント・コーディネーターとしての参加を打診。留学生の坂本は就労資格を持っていなかったが、製作側から「同じスタッフで数本映画を撮る予定だから労働ビザを出すし、映画俳優組合と俳優協会にも入れる」と言われたことから承諾し、『アンダーカバー』の続編2作に参加。

労働ビザを得たことから大学を休学し、プルートと共に「ジェフとコーイチ」として活動していたが、坂本の名が売れるに連れてプルートとの関係が悪化し、アルファスタント結成(後述)後の『デッドリーターゲット 襲撃』撮影中のトラブルが原因でプルートとの関係を解消。その影響で、参加予定だった『Fist of the North Star 北斗の拳』を降板している。その後、プルートから謝罪を受けて『ブレード/妖剣伝説』のアシスタント・アクション・コーディネーターを担当する。

1992年には、倉田アクションクラブの先輩である小池達朗や後輩の野口彰宏とともにスタント・チーム「アルファスタント」を設立した。

1993年に成家班(ジャッキースタントチーム)から技術を学んだことにより、本格的にワイヤーアクションを学び始める。

『ブレード/妖剣伝説』の仕事が終わった頃、『パワーレンジャー』のスタッフが「ジェフとコーイチ」と会いたいと言っている話を知人から聞き、プルートとともに面接を受ける。その結果、プルートが同作のアクション監督に決まり、坂本にもアシスタントの依頼が入るが、プルートとのトラブルを避けたかったこととスケジュールの都合から辞退する。その後、日本人スタントマンの斡旋で関わり、『パワーレンジャー』の第78話においてワイヤースタッフとして現場に参加した後、戦闘員役として出演している。その後、『パワーレンジャー・映画版』の監督に内定していたスティーブ・ワンから同作への参加依頼を受けたことがきっかけで、『バーチャル戦士トゥルーパーズ』のバンクシーンの演出を担当。その映像を『パワーレンジャー』のプロデューサーだったジョナサン・ヅァクワーが視聴したことがきっかけで、同作のアクション監督の依頼が入る。プルートとのトラブルを避けたいことから坂本は依頼を辞退する意向だったが、プルートが解雇されたこともあり、第2シーズン終盤からアクション監督を担当。

パワーレンジャーシリーズにおいては、『ジオ』から本編監督としても参加し、『イン・スペース』からはローテーション監督となる。『ロスト・ギャラクシー』以降は共同プロデューサーを務める。プロデューサーになったきっかけとして、坂本はヅァクワーの依頼で原作となるスーパー戦隊シリーズの内容を脚本家やストーリー・エディターに通訳するようになり、その場で出したアイディアがドラマ構成にも取り入れられ、それらの功績が評価されたと推測している。日本における特撮監督にあたる仕事も、坂本が担当している。

『パワーレンジャー・ワイルドフォース』の制作中、ウォルト・ディズニー・カンパニーから来シーズンから『パワーレンジャー』の撮影地がニュージーランドに変更されるため、製作総指揮として新番組の立ち上げをして欲しいとオファーが入る。2002年9月には同国に拠点を移しており、それ以降は1年のうち8か月間はニュージーランドで過ごし、残りの期間は自宅のあるロサンゼルスで過ごしていた。永住権保持者の外国人が長期にわたってアメリカを離れるには手続きが必要なため、ディズニーによる協力でアメリカ国籍を取得。

2003年放送の『パワーレンジャー・ニンジャストーム』以降は共同製作総指揮、2005年放送の『パワーレンジャー・S.P.D.』からは製作総指揮となる。

2006年に、米ディズニーチャンネルで放送された映画『カンフー・プリンセス・ウェンディー・ウー』のアクション監督を務めた。撮影は、当時『パワーレンジャー』を撮影していたニュージランド・オークランド市。

2009年、『パワーレンジャー・RPM』を持って長年関わってきたパワーレンジャーシリーズが2年ほど休止することが決定したため、ディズニーとの契約を凍結し、同年秋に家族をロサンゼルスに残して日本へ一時帰国。『大怪獣バトル ウルトラ銀河伝説 THE MOVIE』を監督。同作品の仕事が終わった後はアメリカへ戻る予定だったが、『パワーレンジャー』の制作で親交のあった塚田英明の誘いに応じ、『仮面ライダーW』の本編および同作の劇場版、Vシネマの監督を務めた。


 

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