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山口小夜子

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山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 - 2007年8月14日)は、日本のファッションモデル。「日本の元祖スーパーモデル」とも称されている。神奈川県横浜市生まれ。活動はモデルだけに留まらず女優、パフォーマー、ファッションデザイナー、と多岐にわたった。また晩年は、その活動を自ら「ウェアリスト」と名乗っていた。

生涯

ファッションモデルとして

京浜女子大学横浜高等学校卒業後、学校法人杉野学園ドレスメーカー女学院に通う。同校で服飾デザインを学ぶと、日本人女性にしては背が高かったことから、洋服のサイズを仕上げる仮縫いのモデルを頼まれた。後日講師の勧めにより、プロのモデルを目指し始める。

同校卒業後、1971年にプロのモデルとしてデビューし、山本寛斎の「やまもと寛斎ロンドン・コレクション凱旋ショー」や高田賢三、三宅一生のショーに出演して注目を集める。1959年にルイ・フェローに見出されて、アジア系モデルとして初めてパリコレクションに起用された松田和子、1960年にピエール・カルダンに見出された松本弘子に続き、1972年のパリコレクションに起用された。唯一無二のモデルとして存在感を示したことから、パリコレやニューヨークコレクションに常連で出演するようになる。さらに、イヴ・サンローラン、ジャン=ポール・ゴルチエなど、海外のトップデザイナーにも重用され、以後海外を飛び回った。また、世界的ファッション雑誌『VOGUE(ヴォーグ)』にもたびたび登場した。

1960年代にパリコレクションで活躍した松田和子や松本弘子のような大きな目でキュートな顔立ちのモデルとは違い、切れ長の目と黒髪のおかっぱ髪で登場し、日本人ブームを引き起こした。白い肌に切れ長の目の美しさを作り出す繊細なアイライン、高い位置のチーク、くっきり縁取った赤いリップによる彼女のエキゾチックな顔は、ヨーロッパで熱狂的に支持された。

1970年代半ばには海外では“東洋の神秘”と称賛されるなど注目され、「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が作られるほどであった。1977年にロンドンのマネキン制作会社「アデル・ルースティン社」により「SAYOKO マネキン」が制作され、2週間かけて小夜子の形を粘土で取ったという。このマネキンが世界中の都市のショーウィンドウに飾られたことで、山口の知名度はさらに上がった。なお現在でもアナスイニューヨーク店に「SAYOKO マネキン」が残っている。

1973年から1986年まで資生堂のモデルとして専属契約を結び、「美」の普遍的イメージを国内外に発信していくことになる。1973年の『シフォネット』のポスターは、ハーフモデル全盛の時代に、黒髪おかっぱのいかにも「日本人らしい」モデルの登場を鮮烈に印象づけ、時代の転換点を体現した。モデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも担当。1990年には、靴やバッグなどを扱う「ダイアナ」から靴の新ブランド「SAYOKO YAMAGUCHI」を発表した。

1977年には、雑誌『ニューズウィーク』の「世界のトップモデル6人」にアジア人で初めて選ばれた(別の媒体では、「1973年の『ニューズウィーク』で「世界の4人のトップモデル」の1人に選ばれた」とも言われている)。同じく1977年にスティーリー・ダンのアルバム『彩(エイジャ)』のジャケットを飾り、ファッション業界以外でも知られるようになった。

舞台・映画・ダンス・デザイン

モデルとしての活動の傍ら、1977年に寺山修司演出の舞台『中国の不思議な役人』に出演して女優としての活動も開始。その稽古で天井桟敷のメソッドに触れ、表現の幅を広げた後、同年に映画『杳子』に出演。さらに、1981年にはやはり寺山の監督作『上海異人娼館』にも出演している。同年、重信浩演出による半自叙伝的舞台『小夜子:山口小夜子の世界』で主演を務めた。その他、演出家 佐藤信の舞台『忘れな草』(1986年)、舞踏やダンスの分野にも活動の場を拡げていく。

1986年にはパリ市立劇場を拠点として活動する舞踏グループ 山海塾からメソッドを学び、横須賀功光の撮影による写真集『月 小夜子/山海塾』で共演。1987年には、ダンス・カンパニー「KARAS」のダンス公演(振付、構成・勅使川原三郎)を始め、以後ダンサーとして、1996年頃まで世界ツアーも含めて彼らと活動をともにした。国際エミー賞ほかを受賞したNHK音楽ファンタジー『カルメン』(1989年)、江戸時代から続く糸あやつり人形劇団 結城座の人形たちと共演した『ペレアスとメリザンド』(1992年)など多くの舞台に出演する。また1989年には、勅使河原宏監督の映画『利休』で、豊臣秀吉の側室・茶々役を好演した。

音楽や舞、ファッションショーが一体化した壮麗な舞台の出演者としても、林英哲、山本寛斎、和田勉、毛利臣男、天児牛大らとのコラボレーションを行った仕事がある。

舞台衣装 1997年 天児牛大演出の歌劇『青ひげ公の城』リヨン国立歌劇場自らも出演
1988年 天児牛大演出の歌劇『三人姉妹』
2004年 佐藤信演出のふたつの舞台『リア王の悲劇』


 

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