お得な公演チケットサイト Confetti(カンフェティ)

カンフェティカードへの新規入会+チケット購入で1,500カンフェティポイントプレゼント!

佐久間良子



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

佐久間 良子(さくま よしこ、1939年2月24日 - )は、日本の女優。東京市(現・東京都練馬区)出身。身長158cm。

来歴

出生から学生時代まで

1939年、東京・練馬の桜台にある裕福な家で生まれた。軍医だった父は地元でも有数の大地主の次男で、戦後、製薬会社に勤務し、後に役員になった。母は理科教室などに展示する人体模型を日本で初めて開発した製作所の長女。いわば良家同士の婚姻であり、何不自由なく育った。高い塀に囲まれた実家の敷地は500坪ほどあった。子供のころ家からほとんど外に出たことがなく、文字通りの「箱入り娘」だった。3歳下の妹と6歳下の弟がいる。

軍医だった父は、良子が1、2歳のころは満州に従軍していた。1945年3月、小学校に上がる直前集団疎開に出された。疎開先の群馬県磯部でやせ衰えた良子の姿を見た父は、驚いてすぐに引き取り、家族と一緒に新たな疎開先の福島県桑折に移り住んだ。地元の小学校に通い、野生児のように野山を遊び回った。

東京・練馬の実家に戻ったのは終戦後1、2年してからだった。やがて開進第三小学校に編入する。

私立川村中学に入学。川村高等学校在学中の1956年、川村学園の先輩で東映の女優・小宮光江に誘われ、東京撮影所の運動会に出かけた。

学校から帰宅すると、応接間で「娘さんを東映のスターとして育てさせてください」と東映の幹部が両親への説得を懸命に続けていた。堅い気風の実家では親族会議で「絶対反対」の方針を何度も確認するだけだった。「きめました。1年かぎりでもいいので女優に挑戦します」と両親に宣言した。

女優として

翌1957年に東映ニューフェイス第4期で水着審査を拒否したが補欠合格し、東映へ入社。同期には水木襄・室田日出男・曽根晴美・花園ひろみ・山口洋子・山城新伍らがいる。俳優座養成所で半年間、研修を受け、この間に東映動画『白蛇伝』のモデルとして初めてカメラの前に立つ。1958年、映画『美しき姉妹の物語・悶える早春』の端役で映画デビュー。続く『台風息子』2部作で江原真二郎の相手役に抜擢され売り出す。以降、早くから東京撮影所期待のホープ女優として、デビュー2年目にして、雑誌『平凡』人気投票の女優10位に入る。

1960年8月7日、産経会館国際ホールで後援会が発足。後援会長は、株式会社ヤシカ専務の牛山治三郎。10月には、機関誌『咲』が発刊される。

1960年以降は、今井正監督『白い崖』、家城巳代治監督『秘密』、自ら映画化を希望した村山新治監督『故郷は緑なりき』と着実な歩みをみせ、東映の看板女優として活躍。

1960年、鶴田浩二の東映入社第一作『砂漠を渡る太陽』で 鶴田の相手役にふんし、以降、『湖畔の人』でも共演。『人生劇場 飛車角』の頃から、実生活でも鶴田の恋人として大いに当時のマスコミをにぎわせた(『ヤングレディ』 1966.3.21号 南部僑一郎寄稿「佐久間良子と鶴田浩二の禁じられた恋の結末」、カーロン愛弓『父・鶴田浩二』新潮社)。

1962年(昭和37年)、3月31日からイタリアのミラノで開かれた「ミラノ国際見本市」の中で、4月15日から4月19日まで開催された『ミラノ日本映画見本市』のため、4月10日、清水雅(東宝社長)を団長として、川喜多長政、奥山融、そして、映画会社各社代表女優の吉永小百合(日活)、星由里子(東宝)らと共に東映代表女優としてイタリアへ出発。岸惠子が日本からではなく現地参加でミラノで合流している。4月25日、帰国。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なイタリア訪問となった。

1963年、映画『人生劇場 飛車角』で鶴田演ずる飛車角の情婦という初の汚れ役が話題になった。続いて、『五番町夕霧楼』(代表作。サンケイ新聞社 シルバースター主演女優賞)、『越後つついし親不知』、『湖の琴』(1966年 NHK主演女優賞、京都市民映画祭賞)などの名作映画にも出演し、演技力も認められるようになった。

1960年代後半に入り、東映はヤクザ映画とポルノ路線を推し進め、ヤクザ映画の藤純子に東映のトップ女優の座を譲り、以後、映画出演は激減した。当時、出演が決まりながら流れた企画映画に『ロバータ、さあ歩きましょう』『石狩平野』等がある。1968年には他社主演映画の松竹『わが闘争』で、初の役柄でもあるヒロイン堤玲子を演じた。同年、『雪夫人絵図』で官能のヒロイン雪を演ずるが、文芸作品は、ヤクザとエロ全盛の東映カラーに合わないとしてお蔵入りとなった(1975年に日活系で公開)。また、翌年出演した小幡欣治原作『あかさたな』の映画化は東映の興業に合わせて、『ど助平一代』と、女優としては口にするのもはばかるような題名で公開される等、一流女優として磨きのかかった佐久間と東映路線との距離は離れていった。


 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。