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清水国明

清水国明



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Wikipedia

清水 国明(しみず くにあき、1950年〈昭和25年〉10月15日 - )は、日本のタレント。本名は清水 國明(読み同じ)。

アウトドア愛好者として有名で、国際A級ロードレースライダーでもある。2012年から2017年まで、山梨学院大学現代ビジネス学科の客員教授に就任していた。所属事務所はあのねのね事務所→清水国明事務所(アワーライフ)→kuniaki.plus。

ライバーハウス株式会社代表取締役社長。会社の設立は2021年で、ライブ配信サービスの運営を事業としている。

姉と弟がいる3人姉弟の長男。ブックオフコーポレーション元代表取締役社長の橋本真由美は実姉(他に弟もいる)。タレントの清水明実は長女。

経歴・人物

福井県立大野高等学校、京都産業大学法学部卒(法学部1期生)。

1973年、京産後輩の原田伸郎とのコンビで「あのねのね」として、「赤とんぼの唄」でデビューし大ヒットを記録した。「あのねのね」結成当初は京産の学生複数人での編成で、笑福亭鶴瓶とその妻もメンバーだった。大学生の頃、鶴瓶や原田と一緒に京都の三木半旅館で布団の上げ下げや、配膳のアルバイトをしたことがある。

「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。当時はラジオで下ネタを連発したり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っていたが、後述のように1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層へとファン層が変化したことを受け、司会進行を務めていたフジテレビ系『ものまね王座決定戦』にて、清水アキラが下ネタを連発した際にはとがめる素振りも見せた。ただし、アキラを弟子としてあのねのね事務所に所属させ、自身の3度目の結婚の際にはアキラが披露宴の司会をするなど、両者の親交は深い。

1982年に担当していたラジオ番組「真夜中ギンギラ大放送」でリスナーからの投稿ハガキを発端に話が膨らみ、国内最大のオートバイレースである鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)への出場を宣言した。当時、清水は二輪の運転免許すら持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得し、自身のサポートクラブ的団体である『國武舞(くにぶぶ)レーシングチーム』を主宰。モリワキエンジニアリングの社長・森脇護からの大きなサポートを受けながらオートバイレース界で精力的に活動を始めた。1983年には8耐の登竜門的レースでノービスライダーが出場する鈴鹿4時間耐久レースに出場し、決勝20位で完走を果たす。以後1985年まで4耐に出場した。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、1990年に元世界GPライダーの福田照男とのペアで8耐に初参戦し、予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながら8時間レース完走を果たした。この8耐への出場実現をもってレース界からの引退を宣言した。

私生活では、タレントの清水クーコと1976年に結婚し、カカア天下のおしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。国明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時の芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通であり、またディスコで「離婚パーティ」を開くなど、元夫婦の行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属したまま芸能活動を続け、そして国明とはよき友人関係を続けたが、クーコのイギリスへの海外留学や、国明の再婚(1984年に再婚したが離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは1991年3月に子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主は元夫の国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。

2007年1月、清水が主宰していた「と劇団」の座員だった永田ケイ(清水敬子)と3度目の結婚(23歳差)。同年11月4日には初めての男子が誕生したが、2015年に離婚した。

2008年末、都内の病院の人間ドックで十二指腸に約2センチの腫瘍(ポリープ)を発見。良性との診断で翌2009年2月に内視鏡手術により摘出したが、摘出部の細胞を調べたところ、十二指腸乳頭部に腫瘍が見つかったため、十二指腸の全摘出となった。4月に慈恵医大病院に入院し手術を受け、早期発見の為約3週間の入院で済み、5月に芸能活動を再開した。

2013年6月4日、あのねのね結成40周年記念コンサートを東京・渋谷のマウントレーニアホールで開催する。

2018年3月3日、25歳年下の一般女性と4度目の結婚をし、同年11月に男児が誕生した。

趣味・志向

清水は小学校時代から大学2年生まで剣道をやっており、剣道二段の腕前である。2011年3月東北地方太平洋沖地震の際には、被災者救援活動を自らが主宰するNPO法人「河口湖自然楽校」で行うにあたって剣道経験者としてその活動を紹介した『剣道日本』6月号(スキージャーナル社)のインタビューに登場した。被災した子どもやその家族を受け入れた際は、バスで被災地と河口湖を送迎した。

2012年5月にはハワイ・ホノルルトライアスロンに挑戦し、完走している。


 

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