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徳光和夫



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Wikipedia

徳光 和夫(とくみつ かずお、1941年(昭和16年)3月3日〈戸籍上は3月10日〉 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント。元日本テレビアナウンサー。本名:?光 和夫(読み同じ)。

日本ドッジボール協会顧問、株式会社ソニー・ミュージックアーティスツ顧問、日本司会芸能協会顧問、海原会(学校法人海城学園OB会)会長等の肩書きも持つ。

オフィス ラ・メール所属で、ソニー・ミュージックアーティスツと業務提携している。

本名の「?」は徳の旧字体で初期の日本テレビ(一部の記事を除き、以下日テレと略す)『ズームイン!!朝!』のテロップでもこの表記を使っていたが、現在は通常の「徳」を使用している。愛称は、徳さん。プロ野球・読売ジャイアンツの熱烈なファンで、「巨人親父」とも称される。公の場で感涙することが多く(特に『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』)、「かなり涙もろい」キャラクターで知られる。番組開始時の挨拶ではフルネームを言わず「徳光です(でございます)。」と言っている。

東京都目黒区出身。現在は神奈川県茅ヶ崎市在住。血液型B型。1女2男があり、タレントの徳光正行は次男。ミッツ・マングローブは甥にあたる。

来歴

出生

父の徳光寿雄(?光壽雄)は映画監督として業界の活動を始め、その後日テレに開局社員として入社し、1967年には当時赤字経営に苦しんでいた東京12チャンネル(現:テレビ東京)を立て直すべく設立された「科学テレビ協力委員会」の委員として出向した人物。徳光の戸籍上の生年月日が実際の生年月日と異なるのは、厳格な父が「男児が3月3日、桃の節句の生まれでは格好が悪い」と1週間後で陸軍記念日の10日生まれにしたためである。

自身もフリー転身後、『にっぽんの歌』などテレビ東京の番組に出演し、次男の正行も『レディス4』の司会に起用され、親子3代に渡ってテレビ東京に関与することとなった。母は松屋のデパートガールだった。弟は英国伊勢丹元社長の徳光次郎。JRA競馬騎手の福永洋一とは、遠い親戚関係にある。2歳下の妹がいたが、和夫が5歳の時に病気で亡くなっている。

戦時中は福島県田村郡三春町の法蔵寺に疎開していた。

元々は落語家志望で、趣味は野球観戦と駅伝観戦と音楽鑑賞と落語鑑賞。中学時代まではプロ野球は西鉄ライオンズ、特に大下弘のファンだったが、私立海城高等学校在学中に、長嶋茂雄が東京六大学野球新記録(当時)となる本塁打を放ち、嬉しさから小躍りしながら仲間と一緒にベースを回る姿を見て感化され「人生の全てを長嶋茂雄に捧げよう」と決意。長嶋がいた立教大学の全学部を受験し、辛うじて社会学部に補欠合格した。合格した原因は「ヤマを張って集中的に勉強した日本書紀が、試験に丸々出題されていたから」ということを話している。そしてその後、大学卒業後長嶋が入団した巨人のファンとなる。大学では、最初は「長嶋さんが居た神宮球場で過ごしたい」からという理由で応援団に入るが、ほとんどグラウンドに背を向けての活動だったため、試合を見られないことに不満を感じていたところ、放送研究会の部員がスタンドの最前列でテープレコーダーを持って取材などをしているのを見て、楽しそうと思い、放送研究会に転じる。大学の同期に青尾幸、加賀美幸子、村田幸子、土居まさる、後輩に関口宏、古舘伊知郎、久保田光彦、放送研究会の後輩にみのもんたがいる。大学4年の時、就職に悩んでいた時期に土居に相談をし、「お前、アナウンサーになればいいじゃないか」とアドバイスを受けアナウンサーになることを決意する。

日本テレビ入社後

大学卒業後の1963年に日テレへ入社。同期入社に青尾幸、今村倫子がおり、中途入社してきた同期に小林完吾がいる。著書「企業内自由人のすすめ」によれば、日テレを受験した際、最終選考に残った2人が学生運動に関与していたことが判明し、選考を辞退した影響で徳光が採用された。

主にアナウンサーとしてプロレス中継を中心に受け持ち、ドラマ『青春とはなんだ』にラグビー中継のアナウンサー役で出演したり、アニメ『ルパン三世』第73話「花も嵐も泥棒レース」にて、自動車レースを中継するアナウンサー役(本人の役)で声優として出演したこともあった。また、1969年10月から『NTV紅白歌のベストテン』の総合司会を務め、人気を得る。

1974年10月から『新・底ぬけ脱線ゲーム』の司会を務め、1979年3月から放送開始した『ズームイン!!朝!』では総合司会を9年間担当。1988年4月からは『NNNニュースプラス1』のメインキャスターを務めた。自身に『プラス1』キャスターとしての白羽の矢が立ったのは「『ニュースステーション』のおかげで、ニュースそのものが難解な言葉を多用するものから、分かりやすいものに変わっていったことに影響されたのではないだろうか」と話し、「『プラス1』の3年間は世界的にも激動の3年間で、人にものを伝える難しさというものを学んだ」とも話している。

フリー転身後


 

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