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ジョー・ドーリング

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Wikipedia

ジョー・ドーリングJoe Doering、1982年4月16日 - )は、アメリカ合衆国・ウィスコンシン州グリーンベイ出身のプロレスラー。

来歴

デビュー - 全日本プロレス (2004 - 2010年)

プロレスデビューは2004年12月19日。TNAではTVショーのTNA iMPACT!やPPV大会にも出場していた。

2007年6月、全日本プロレスにフィル・アトラスと共に留学生として来日、24日から始まったCROSS OVERシリーズで日本マットデビュー。道場で若手選手、練習生と共同生活をしていた。7月には武藤敬司からVOODOO-MURDERS(以下VM)退治のパートナーに抜擢。8月いっぱいで留学期間を終え、9月シリーズからは一外国人選手として参戦、10月18日の代々木大会では諏訪魔から勝利を奪う。さらに世界最強タッグ決定リーグ戦に武藤とのタッグで初出場し優勝を果たした。

2008年1月3日の後楽園ホール大会で、武藤と共に小島聡&TARU組から世界タッグ王座を奪取。3月22日の新潟大会では、タッグ戦ながら太陽ケアからも勝利を収めた。同年チャンピオン・カーニバルに初出場、西村修や前三冠王者の鈴木みのるから勝利を収めた。

5月11日、後楽園大会でVMのゾディアックと一騎討ちし、スパイラル・ボムで勝利。試合後、VMがドーリングの髪とゾディアックのマスクを賭けたリベンジマッチを要求し、これを受諾。5月25日の神戸大会でマスカラ・コントラ・カベジェラマッチで再戦し、その試合でも勝利した。

9月13日、GURENTAIとのキャプテンフォールイリミネーションマッチに出場。武藤らの攻撃が誤爆し退場となるときに本隊と不穏な空気を見せ、その後は特に異常な様子は見られなかったものの、最終戦でパートナーである真田聖也にレボリューションボムを食らわせてVM入りとなった。VM加入後はトレードマークの金髪とVMカラーの赤を混ぜ、世界最強タッグではゾディアックとの『ブードゥータワーズ』で出陣、勝ち点8と優勝決定戦進出を目前としていた。しかし、ゾディアックが急性腹膜炎で緊急手術となり棄権となった。

WWE (2010年)

2010年、WWEとディベロップメント契約を結び、3月にFCWにてデビューした。4月にリングネームをドレイク・ブリュワーDrake Brewer)に変更。体格、力が上のレスラーが多いせいか出番が少なく、9月に解雇という形になってしまった。

全日本プロレス復帰 (2010 - 2019年)

11月5日、全日本プロレス台湾大会において、チャーリー・ハースの諸般の事情による欠場を受けて急遽出場となった。

2011年、VMに復帰。河野真幸とのタッグで世界タッグ王座を獲得するが、VMがスーパー・ヘイトへの暴行事件により解散となった。以後はビッグ・ダディ・ブードゥーとタッグを組み、世界最強タッグにも出場。

2012年5月に久々に来日。自身がヒールターンするきっかけとなった真田とタッグを組んで世界タッグ王座を獲得。だが、1ヶ月後に組まれたGET WILDのリマッチで敗れ王座を失い、試合後に真田とのコンビを解消。9月にベスト・パートナーを連れて来ると言い、再びゾディアックとコンビを組んだ。しかし10月21日の名古屋国際会議場大会で諏訪魔とシングルで対決、試合後に互いを認め合い、新チーム「ラスト・レボリューション」を結成(のちユニット化)。同年の世界最強タッグにも諏訪魔とのコンビで出場し準優勝を飾る。

2013年、全日本プロレス分裂騒動の際には諏訪魔と同様、全日本プロレス残留(ドーリングはフリーであるため、継続参戦。)を表明する。ラスト・レボリューションを解散し、諏訪魔とのコンビを「エボリューション」と改称(のちユニット化)。10月に諏訪魔とのタッグで自身4度目の世界タッグ王座戴冠と共に、年末の最強タッグで優勝した。翌2014年7月27日、後楽園大会で三冠王者の諏訪魔を破り、三冠ヘビー級王座を初戴冠。

2016年3月30日、チャンピオン・カーニバル参戦前に悪性脳腫瘍が発覚したため出場を辞退。ドーリングの代わりにエボリューションのメンバーでもある青木篤志が代替出場となった。ドーリングは放射線治療など化学療法に専念し11月27日には両国国技館大会に来場、来年1月の復帰を宣言した。


 

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