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秋野 太作(あきの たいさく、1943年2月14日 - )は、日本の俳優、タレント、エッセイスト、瞑想者である。本名および旧芸名は津坂 匡章(つさか まさあき)。一時は津坂まさあきの名も使用していた。グランパパプロダクション所属。身長170cm、体重65kg。
東京市台東区で生まれ、江東区深川で生まれ、生後間もなく大分県杵築市の母の実家に移り、4歳のとき東京に戻り、以降は文京区で育った。文京区立第六中学校卒、東京都立文京高等学校卒、日本大学法学部中退。文京区立第六中学校の同級生には小沢一郎と西川太一郎がいた。
俳優座養成所第15期生、俳優座座員を経て現在はグランパパプロダクション所属。俳優座時代、一時太地喜和子と結婚していたが短期間で離婚し、その後、元タカラジェンヌでNHK『ステージ101』のヤング101の第一期生としてNHK総合テレビの音楽番組『ステージ101』に出演した女優・歌手の温碧蓮と再婚している。息子は振付家・農業経済学者のつさかたくじ、娘は元女優・ファッションモデルの津坂早紀。また、実弟・津坂 浩史(つさか ひろし)も俳優デビューしたが、引退した。
1975年から一年間放送されたテレビドラマ『俺たちの旅』(日本テレビ系)での、女性からモテモテの"グズ六"役でよく知られるが、俳優座時代から女性ファンが多く、テレビドラマ『男はつらいよ』でレギュラーだった秋野に、女性ファンからの「映画でも出してくれ」との要望が多く、映画『男はつらいよ』にも出演することになった。
芸名を秋野太作にしたきっかけは、秋野が妻を持ち子供もできて家庭が築かれ、人生の転換期の中で精神的にも内向きだった頃、何事もゲンを担ぐ秋野の父親が「津坂匡章の名前のままだと、いずれ交通事故死する」と誰かに言われ、秋野曰く実際に二度死にかけた経験もあり、父親がその誰かに「三度目には死ぬ」と言われて酷く心配していたことと人生の転換期にあることがシンクロしたことで改名を決めた。その1976年当時演じていた日本テレビのドラマ『俺たちの朝』での役名を芸名にしたという。ちなみに、その番組が「秋の大作」という触れ込みでの新作発表であったため、それもヒントになっているという。
秋野の独特のキャラクターが話題になり、バラエティ番組にも積極的に出演している。特に、日本テレビ『踊る!さんま御殿!!』は明石家さんまを驚愕させるほどのキャラクターで人気を得ており、バラエティ番組進出のきっかけとなった。また、テレビ東京の『いい旅・夢気分』『土曜スペシャル』など旅番組にも出演、娘の早紀と共演することが多い。