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竹本 織太夫(たけもと おりたゆう)は人形浄瑠璃文楽・義太夫節の太夫の名跡。当代は六代目。定紋は抱き柏に隅立て四つ目。替紋は六代目より織の紋。
竹本織太夫の名跡は、三代目竹本綱太夫の師匠である二代目竹本綱太夫が京都の猪熊仏光寺にて菅大臣縞を織る津國屋(つのくにや)という織物業を営んでいたことに由来する。
二代目竹本織太夫が六代目竹本綱太夫を襲名して以来、竹本綱太夫の前名として位置づけられている。
生没年不詳 「文化・文政の織太夫」
三代目竹本綱太夫(三綱翁)の門弟。細かな経歴は明らかではないが、『増補浄瑠璃大系図』には、「三綱翁門弟にて西京住人なり大坂に出て芝居出勤致 文政申年伽藍鑑の節出勤す」とある。
『義太夫年表近世篇』によれば、文化8年(1811年)から出座歴が確認でき、主に文政年間まで師匠三代目竹本綱太夫が紋下を勤める一座にて活躍している。
出座歴は以下の通り。
文化8年(1811年)
8月 北之新地芝居 『和田合戦女舞鶴』「大序 奥」
9月 北之新地芝居 『伊達娘恋緋鹿子』「吉田社の段 奥」『赤松円心縁陣幕』「道行」
文化9年(1812年)
2月 御霊境内 『伊賀越道中双六』「行家屋敷の段 口」『伊達娘恋緋鹿子』「十内内の段 口」
3月 いなり境内 『日吉丸稚桜』「小田陣屋の段 口」「鹿狩りの段」
4月 稲荷境内 『四天王寺伽藍鑑』「太子誕生の段」「天王寺の段」
文政7年(1824年)
8月 大坂荒木之芝居 『加々見山廓写本』「望月屋敷の段 口」
閏8月 大坂荒木之芝居 『仮名手本忠臣蔵』「弐段目 口」
文政10年(1827年)