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斎藤慶子

斎藤慶子



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Wikipedia

(さいとう けいこ、1961年7月14日 -)は、日本の女優・タレント、元グラビアモデル・元歌手。宮崎県小林市出身。前夫との間に娘1人。所属は太田プロダクション。みやざき大使。

来歴

大学在学中の1982年、日本航空「JAL沖縄キャンペーンガール」に約800人の応募者の中から選ばれた。これにより芸能界入りして熊本大学教育学部心理学専攻を中退し、上京。大学の先輩でもある「宮崎美子2世」とも呼ばれグラビアモデルで活動、歌手デビューもした。1983年、映画に初出演。

1995年、前年の映画「東雲楼 女の乱」の演技により第18回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞。

1997年7月、7年の不倫交際を経て、12歳年上の実業家木本裕仁と結婚し、2000年6月に長女を出産するが、2008年5月に離婚。親権は斉藤が持つ。

2007年、東国原英夫が宮崎県知事に初当選した際、祝福のコメントを述べた。同年、宮崎県の観光や農畜産物をPRする「みやざき大使」に選出された。

2009年8月、アップフロントエージェンシー(現:アップフロントプロモーション)から、太田プロダクションに移籍。

2011年11月、15歳年上のショップジャパン創業者の中村規脩(なかむらただし)と子連れ再婚した。

2017年4月、慶應義塾大学大学院メディアデザイン科に進学。

エピソード

子供時代

宮崎県小林市に一人っ子として生まれる。父は市役所勤務だったが、辞めて養魚場を経営。幼い頃から両親の喧嘩が絶えず、宮崎県立小林高等学校3年の時に別居し、翌年離婚。父は大学2年の時に再婚。1988年10月に母親が自殺している。

小学生の頃は自宅が小学校に近かったため、近所の友達と放課後に運動場や学校裏の麦畑などで遊び、家では“リカちゃん”(人形)遊びをしていた。子供の頃から勉強が得意で健康体だったが、体育は苦手だった。小学3年生頃に、テレビドラマ『アテンションプリーズ』が大ヒットした影響を受け、子供の頃の将来の夢は、「スチュワーデス(現・キャビンアテンダント)になること」だった。

中学時代はブラスバンド部に所属し、クラリネットを担当した。高校生の頃は進学クラスに所属したことから、異性や恋愛には目もくれず勉強に励んだ。

大学時代に芸能界入り

大学に入学してすぐ、地元の鶴屋百貨店でモデルのアルバイトをする機会があり、広告やチラシの撮影のために初めて東京に訪れた。その際、斉藤の担当者経由で「こういう子(斉藤)が熊本にいるんですよ」と東京のモデル事務所に紹介されたことで、後日東京で行われるオーディションを受けることになった。


 

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