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泉ピン子

泉ピン子



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Wikipedia

泉 ピン子(いずみ ピンこ、1947年9月11日 - )は、日本の女優、コメディアン、漫談家、歌手。東京都中央区日本橋生まれ、銀座出身。静岡県熱海市在住。所属は pi企画株式会社。血液型はB型。身長154cm。戸籍名:武本 小夜(たけもと さよ)、旧姓:江口(えぐち)。デビュー直後の芸名は三門 マリ子(みかど マリこ)。

親族

  • 夫は消化器内科医の武本憲重。
  • 父は浪曲師の廣澤龍造(江口鉱三郎)。
  • 継母は浪曲師の三門お染。
  • 叔母(広沢竜造の実妹)は声帯・形態模写・漫談家の翠みち代。義理のおじ(みち代の夫)は落語家の4代目桂福團治。従弟(福團治とみち代の長男)は落語家の桂福若。
  • 来歴

    東京の品川区立日野第二小学校、品川区立日野中学校卒業。日本音楽高等学校中退後の1966年、牧伸二に師事し三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューするがキャバレー回りが続く。その後、1975年に日本テレビ『テレビ三面記事 ウィークエンダー』の番組リポーターを担当したのを機に芸名を泉ピン子へ改名。『ウィークエンダー』は出演者に欠員が生じたところ、その話しぶりの面白さに目を付けられて起用された。この番組で初めてのレポートは豚の性行為であり、以後もゲイバー、ストリップなどレポート内容が下ネタ中心になっていた時も一時期あったことから、新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれたこともあった。

    本業は歌謡漫談師だが、『ウィークエンダー』での熱艶が買われ、1975年、東映からオファーを受け『神戸国際ギャング』に出演し、女優業に進出した。同じ1975年にTBSの演出家・鴨下信一に「美人でなく、知的でもなく、金もない“3ナイ女優”を探していた」とのことからドラマに誘われ、鴨下演出のテレビドラマ『花吹雪はしご一家』に出演。女優業に本格的に乗り出し、1980年に『手ごろな女』(日本テレビ)でドラマ初主演。歌手としても1977年に「哀恋蝶」が10.9万枚(オリコンチャート最高位37位)のヒットを記録した。

    『NHK紅白歌合戦』への出場を狙ったが、落選した。以後、紅白に対しては「歌手としての意地がある」と何度も応援出演依頼を断り、紅白出演歴は長らくなかった。ただし、NHK連続テレビ小説『マッサン』が放送される2014年に紅白出演を希望する発言を行い、初出演を果たした。

    1983年4月 - 1984年3月放送のNHK連続テレビ小説『おしん』の母親役で女優として評価を得る。加えて同作の脚本を書いた橋田壽賀子にも高く評価され、以降は橋田作品に数多く出演。

    1990年に『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が放送開始。以後20年以上にわたりシリーズ化され、泉の代表作の一つとなる。長い台詞にも動じない安定した演技で、以後橋田ファミリーの旗頭的な存在である(後述「橋田ファミリー関連」参照)。

    2019年、文化庁長官表彰。同年、旭日小綬章受章。

    女優業の傍ら『渡る世間』での大人しい嫁役とは相反し、バラエティ番組では元コメディエンヌとしての才を活かし、テンションも高く時に辛口なコメントも交えたトークを展開している。

    人物

    歌謡漫談家時代
    歌謡漫談家のネタの中にコント55号が作成したものもある。ある日、街角でキャバレーの呼び込みに「うちで働かない?」と声をかけられたが、「はばかりながら、こっちはもっといい商売やってんだよ!」と一蹴した。キャバレーの呼び込みは、「いけね。トルコ嬢に声かけちまった」と言った。
    芸名について

     

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