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宮川一郎

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Wikipedia

宮川 一郎(みやがわ いちろう、1925年11月18日 - 2008年12月12日)は、日本の脚本家。本名は眞木壮介(まき そうすけ)。岐阜県飛騨市古川町出身。

経歴

東京大学文学部卒業後、新東宝企画部に入社。助監督、宣伝担当、企画担当を経て、1957年の『鋼鉄の巨人』を皮切りに『隠密将軍と喧嘩大名』や『人形佐七捕物帖 裸姫と謎の熊男』『地獄』(中川信夫監督)などを執筆。1961年の新東宝倒産時に同社を退社し、中川信夫から「この男は使える」と東映に推薦され、東大の先輩・岡田茂プロデューサーにホンを読んでもらったら「お前のシナリオは説教くさい。面白いとこだけつなげろ」と大蔵貢と同じことを言われ娯楽映画の本質を学び、書き直して再提出し1963年に東映と契約した。新東宝企画部の社員は宮川以外は全員、電通と博報堂に行った。新東宝では大蔵貢と二人で打ち合わせし、脚本が採用か不採用か決まったが、東映では岡田茂の前でホン読みをするのにはビックリしたという。桂千穂は師匠・白坂依志夫は勿論、宮川のシナリオに大きな影響を受けたと話している。東映京都では『銭形平次捕物控』『天保遊侠伝 代官所破り』の他、『間諜』(原作も)など、東映の映画やテレビ時代劇を多数手掛けた。1968年フリー。以降も映画・テレビのシナリオを量産し、総本数は4000本に及んだ。ベストセラーになって映画化もされたジェームズ・クラベル『将軍』の翻訳は、売れないと思ったため印税契約にしなかったという。

墓所は新宿区長巌寺。

長男は映像プロデューサー兼ジェンコ代表取締役の真木太郎。

作風

テレビ時代劇に大胆なアイデアを導入したプログラムピクチャーの名手。『水戸黄門』では印籠シーンや風車の弥七・風車手裏剣を起用。同作第39部では第1話を担当し、亡くなる直前も最終話(第23話)を執筆中だった。享年83。

脚本作品(映画)

  • 鋼鉄の巨人(1957年7月30日、新東宝)

  のちにスーパージャイアンツシリーズとなるヒット作の第一作。

  • 続鋼鉄の巨人(1957年8月13日、新東宝)
  • 鋼鉄の巨人 怪星人の魔城(1957年10月1日、新東宝)
  • 鋼鉄の巨人 地球滅亡寸前(1957年10月8日、新東宝)
  • スーパージャイアンツ 人工衛星と人類の破滅(1957年12月28日、新東宝)
  • スーパージャイアンツ 宇宙艇と人工衛星の激突(1958年1月3日、新東宝)
  • スーパージャイアンツ 宇宙怪人出現(1958年4月28日、新東宝)

 

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