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ゆるふわギャング

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Wikipedia

ゆるふわギャングは日本のヒップホップユニットである。ラッパーのRyugo IshidaとNENE、プロデューサー・トラックメーカーのAutomaticにより構成される。2016年結成。

ユニット結成以前の来歴

Ryugo Ishida

Ryugo Ishida(旧名義:DUDE)は1993年、茨城県土浦市で男2人・女2人の4人きょうだいの長男として誕生した。小学校2年生のときに両親が離婚し、その後彼が父親に会う機会は1度しか無かった。離婚前、父親から頻繁に虐待を受けていたRyugoは再会を怖がっていたが、その時の父は彼の言うことを何でも聞いてくれた。Ryugoはそのことを「凄い嬉しかったんです」と追憶している。Ryugoは父親とまた次に会う約束もしていたものの、結局連絡は途絶えてしまった。Ryugoはその後、手紙で父親が事故死した事を知った。

Ryugoは小学5年生頃からはあまり学校に行かないようになり、中学校に進学したあともどこかで寝ているか、保健室にいることが多かった。中学1年生のときに小学生時代から続けていたサッカーを辞めて「グレはじめた」ものの、バイクに興味がなく、また地元に暴走族が存在しなかったこともあり暴走族には入らなかった。中学1年生のとき付き合っていた初めての彼女がレイプされたことや、中学2年生のとき新しい父親が借金を苦に自殺未遂をしたことなどもあり、Ryugoの厭世観は高まっていった。

3つ年上のヒップホップ好きな従兄弟に憧れており、彼のファッションをまね、改造した学生服やディッキーズを着て街にたむろするのが好きだった。従兄弟の影響でRyugoはZeebraの『Street Dreams』やエミネムの『カーテンコール』などのラップ音楽を聴くようになった。学校には行かずに夕方まで寝て、夜中は外に遊びに行くといった生活を続けた。中学3年生の頃、ヒップホップ好きな先輩に連れられ、初めてのクラブを経験したRyugoは、帰り際に地元土浦のラッパーであるDEAR’BRO(ディアブロ)に呼び止められCDを貰った。DEAR’BROの楽曲に圧倒されたRyugoはラッパーになることを決意し、すぐさまCDの裏に書かれていた彼の電話番号に連絡した。翌日RyugoはDEAR’BROに食事に誘われ、1週間後には「ステージに立て」と言われ、彼のサイドMCを勤めることとなった。Ryugoはヒップホップの「ゲットーを抜け出す」というカルチャーに惹かれ、「今の現状から抜け出すには音楽しかない」と感じるようになった。

Ryugoは自分でも曲を作り始めるようになった。歌詞を乗せるためのインストを持っていなかったRyugoは、ヴィレッジヴァンガードで購入したスタジオジブリの作品集のインストにラップを載せた。これがRyugoの作ったはじめての楽曲だったが、これは本人にとってもあまり格好いいと思えるものではなかった。次にRyugoは友人5人と共にDef Techをビートジャックした『Dear my friend』という曲をレコーディングした。彼のはじめてレコーディングした曲は、孤児院に入っている友人が親元に帰れるようになったことを記念して作られたものだった。学校でスニーカーや携帯電話を盗んで資金を作った彼らはMTRを購入し、ますます音楽の制作活動に入れ込むようになった。この5人での活動は高校入学頃まで続いた。Ryugoは仲の良い先輩を追いかけ「ちょっとノリで」高校に入学したが、真面目に授業を受けることは無く、昼はリリックの制作、夜はクラブ遊びに熱中した。Ryugoは高校1年生のときから20過ぎまで毎偶数月に「Young Blood」というイベントを開催した。イベントは盛況し、15〜16人ほどの規模のクルーが自然発生した。このクルーは第4回9sari Station Champを獲得し、漢、ダースレイダーらから「顔は〈和〉なんだけれど逆にイカしている」「土浦の今のノリがパッケージされている」などのコメントを貰っている。また、2015年10月にはSEEDAとDJ ISSOのコンピレーション・アルバム『CONCRETE GREEN 13』に『やりたいことやる』で参加している。

高校を卒業し、Tシャツプリント店でアルバイトをしながら楽曲制作を続けていたRyugoは「このままではまずい。自分にしかできないことはないか」と思い、友達2人と土浦駅前のショッピングモールに「YBC」という古着店をオープンするも、この店は1年ほどで廃業してしまう。この頃、Ryugoは地元のイベントのミーティングでトラックメーカーのAutomaticと出会った。RyugoはAutomaticに「俺、あと2年で売れたいんですけど自分をプロデュースしてください」と頼み込んだ。RyugoはAUTOMATICに楽曲提供とアドバイスを受けつつトラップを練習し、半年に1回ずつ『1993』というフリーダウンロードのEPを出すようになった。2016年5月に発売された1stアルバム『EverydayIsFlyday』は『1993』を3枚出したあと、この取り組みの集大成として制作されたものだった。このアルバムを出したあと、Ryugo IshidaはMCネームをそれまで使っていた「DUDE」から自分の本名である「Ryugo Ishida」に変更した。

NENE

NENE(旧名義:Sophiee)は1994年、東京都品川区で生まれた。「ギャングスタ」の兄と真面目で勉強のできる妹を持ち、自分に取り柄がないことを悩んでいた。しかしNENEは自分に自信を持っていて、小さい頃から自分は間違いなくスーパースターになると考えていた。両親は常に喧嘩しており、NENEはその間「部屋でずっとぼーっとして」いた。両親は離婚し、父親はNENEが中学生の時、彼女の元から去っていった。

NENEには「日本を出たい」という願望があり、海外に行く資金を貯めるため、中学校時代から兄の友人が経営するピザ店でアルバイトを始めた。はじめて海外に行ったのは高校1年生のときで、行き先はスペイン、期間は2週間だった。世界旅行の本を目を閉じてめくった所、偶然スペインのページが出たことがきっかけだった。NENEは「高校に行くよりも海外に遊びに行くほうが面白い」という考えから高校2年生のときに学校を中退し、その後すぐにニューヨーク旅行に行った。NENEの親は、彼女の「一度言ったことは曲げない」という性格を理解しているため、彼女の行動を制することはなかった。

ピザ店の先輩に連れられ、15歳頃から六本木のクラブに出入りし始めたNENEはアメリカのカルチャーに憧れを持っていた。兄がギャングスタだったこともあり早い時期から@#$%〔ママ〕を経験した。@#$%を覚えたNENEには「頭おかしくなっちゃった」時期があった。高校2年生頃からレゲエの延長でヒップホップを聴くようになった。エミネムの『Without Me』や『Stan』はNENEに衝撃を与えた。友人にラッパーが多かったこともあり、「ノリで」ラップを始めたNENEは、しだいにラップに熱中していった。2016年4月にはフリーのEPである『SALT』をリリースした。

Automatic


 

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