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春日大社

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Wikipedia

春日大社(かすがたいしゃ、英: Kasugataisha Shrine)は、奈良県奈良市春日野町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。旧称は「春日社」、神紋は「下がり藤」。

全国に約1,000社ある春日神社の総本社である。ユネスコの世界遺産に「古都奈良の文化財」の1つとして登録されている。

奈良時代の神護景雲2年(768年)に平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために創建され、中臣氏・藤原氏の氏神を祀る。主祭神の武甕槌命が白鹿に乗ってきたとされることから、鹿を神使とする。

祭神

主祭神は以下の4柱。総称して春日神と呼ばれ、藤原氏の氏神である。

  • 武甕槌命 - 第一殿。藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)
  • 経津主命 - 第二殿。同上(下総国香取の神)
  • 天児屋根命 - 第三殿。藤原氏の祖神(河内国平岡の神)
  • 比売神 - 第四殿。天児屋根命の妻(同上)。ただし、その正体は天照大御神であるとの説がある。

歴史

創建

奈良・平城京に遷都された和銅3年(710年)、藤原不比等が藤原氏の氏神である鹿島神(武甕槌命)を春日の御蓋山(みかさやま)に遷して祀り、春日神と称したのに始まるとする説もあるが、社伝では、神護景雲2年(768年)に藤原永手が鹿島の武甕槌命、香取の経津主命と、枚岡神社に祀られていた天児屋根命・比売神を併せ、御蓋山の麓の四殿の社殿を造営したのをもって春日社の創祀としている。ただし、近年の境内の発掘調査により、神護景雲以前よりこの地で祭祀が行われていた可能性も出てきている。

藤原氏の隆盛とともに当社も隆盛した。平安時代初期には官祭が行われるようになった。当社の例祭である春日祭は、賀茂神社の葵祭、石清水八幡宮の石清水祭とともに三勅祭の一つとされる。嘉祥3年(850年)には武甕槌命・経津主命が、天慶3年(940年)には、朝廷から天児屋根命が最高位である正一位の神階を授かっている。『延喜式神名帳』には「大和国添上郡 春日祭神四座」と記載され、名神大社に列し、月次・新嘗の幣帛に預ると記されている。春日祭当日、勅使が藤原氏の人間の場合は、「藤鳥居」あるいは「藤の鳥居」という鳥居をくぐって本殿に進んだ。藤鳥居は、後醍醐天皇が、元弘3年(1333年)12月、中宮に冊立された正妃の?子内親王のために詠んだ和歌にも歌われている(『新千載和歌集』神祇・982/『新葉和歌集』神祇・594、?子内親王#後醍醐から?子への歌)。

神仏習合

藤原氏の氏神・氏寺の関係から興福寺との関係が深く、弘仁4年(813年)に藤原冬嗣が興福寺に南円堂を建立した際、その本尊の不空羂索観音は、春日社の第一殿の祭神・武甕槌命の本地仏であるとされた。神仏習合が進むにつれて春日社と興福寺は一体のものとなっていくと、春日大明神は法相擁護の神とされ、天暦元年(947年)からは神前読経が始められた。なお、神前読経は当初は興福寺の僧だけではなく東大寺の子院・東南院の僧も行っていた。康和2年(1100年)に白河法皇は神前での一切経読経のために一切経蔵を春日社に寄進すると同時に、読経をするのに必要な経費を得るための所領として興福寺子院大乗院に越前国坂井郡河口荘を寄進している。ただし、僧は本殿がある内院には入れなかった。

11世紀末から興福寺衆徒らによる強訴がたびたび行われるようになったが、その手段として、春日社の神霊を移した榊の木(神木)を奉じて上洛する「神木動座」があった。もうこの頃には春日社と興福寺と合わせて「春日興福寺」と称せられるようになっていった。

この頃になると、第一殿・武甕槌命の本地仏は不空羂索観音。第二殿・経津主命の本地仏は薬師如来。第三殿・天児屋根命の本地仏は地蔵菩薩。第四殿・比売神の本地仏は十一面観音。若宮社・天押雲根命の本地仏は文殊菩薩とされるようになっていた。


 

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