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鈴木 治行(すずき はるゆき、1962年2月16日 - )は、日本の現代音楽の作曲家。
線的素材に基づく作曲からスタートし、反復(のようなもの)や引用(のようなこと)などを取り入れたユーモラスな音楽を作曲している。映画、美術、その他あらゆるアートに対する探求心は、彼の作品に独特の個性を与えている。作品の傾向は大きく4つにわかれ、(I)反復もの、(II)句読点シリーズ、(III)語りもの、そして映画音楽、である。これら4つの傾向は一見無秩序にみえるが、詳細に検討すると、そこには美学的立場とでも言うべきもので共通したものが垣間見える。
反復ものは、電子音楽「システマティック・メタル」や「For Steve Reich」、あるいはクラリネットとオーボエのための「Hiccup」、スル・ポンティチェロの音色が悩ましく聞こえ続けるヴァイオリンとピアノの「二重の鍵」などでさまざまに試みられている、ある素材の反復的操作を中心としたもので、作例のわかりやすい説明としては、「1、12、123、…」。つまり、準備したメロディなり電子音なり、何らかの素材を何らかの規則に従い反復していくのだが、例えば「二重の鍵」などではさらに、反復するごとに調性をずらすなどして、反復された際の違和感を増す仕掛けが組まれる。こうした、直線的に進行すべき流れを非常に客観的に、ある種暴力的に、切断することへの好みは鈴木治行の作品の特徴の中でもとりわけ重要である。<日本の作曲20世紀>で公開された本人の意図は「収まりの悪い半端なタイミング」を得るためとのことだが、ロココ楽派の「不等音符」が演奏家の上品な趣味を強調するために使われた技術であるのに対して、鈴木のそれは聴覚的なバランスの不一致に向けられている。マウリツィオ・カーゲルの「オーケストラのためのエチュード」に近似した技法が見られる。
IIは直裁に言えば引用である。句読点シリーズではこの好みがより明確な形で示されており、鈴木治行自身は「関節はずし」あるいは「脱臼」といった言葉でこれを説明している。句読点シリーズはソロ楽器のためのシリーズで、現在までに7作書かれている。このシリーズで探求されているのは、あらかじめ用意された素材の流れの中にマイルス・デイビスやバッハなどの異素材を断続的に挿入する事で、音楽に楔を打ち込み、脱臼させるというもので、挿入される異素材は聴覚上にマンネリズムを生まないよう複数用意され、周到にタイミングを計られ組み込まれる。彼はこれを「耳に引っかかる」と説明している。
語りものは、鈴木治行作品の中でも特にユニークなものである。この作品は語りと複数の楽器、あるいは歌手により演奏されるが、これまでに5曲作られている。
「陥没ー分岐」においては、歌曲を歌うソプラノ歌手とピアノ、唄を歌うヴォーカルとキーボードがそれぞれ、歌曲、唄を同時に歌うような状況が何度も訪れる。それぞれはそれぞれのスタイルで歌唱し、演奏するのであって、さらにそこに語りが介入し、不可思議な音響空間を生む。これらばらばらに見える複数の流れはしかし、ある演奏者の演奏が他の演奏者の合図となるように仕組まれ、ところどころ同期され、非常に特異な音楽的やり取りの場が生まれる。「伴走-齟齬」においては、商業音楽のイディオム寄りの爛れたピアノが突然無関係に線的な素材を挿入されるかと思うと、トモミンはピアノに合わせて「歌を歌う」。発振音で声楽をまねるアイディアは一柳慧も同種のシアターピースで用いているが、今作ではトモミンが通常の「発振器」としての役割に突然返り、可聴域を大きく横断するシーンが、語りと組み合わされる。