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中沢新一



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Wikipedia

中沢 新一(なかざわ しんいち、1950年5月28日 - )は、日本の宗教史学者。元中央大学総合政策学部教授。明治大学特任教授/野生の科学研究所所長。多摩美術大学美術学部芸術学科客員教授。

概説

クロード・レヴィ=ストロース、フィリップ・デスコーラ、ジャック・ラカン、ジル・ドゥルーズ等の影響を受けた現代人類学と、南方熊楠、折口信夫、田邊元、網野善彦等による日本列島の民俗学・思想・歴史研究、さらに自身の長期的な修行体験に基づくチベット仏教の思想研究などを総合した独自の学問「対称性人類学」を提唱する。

2011年の東日本大震災以降は、エネルギー問題、現代における政治参加の問題についても思考しており、実践的な活動として2013年には「グリーンアクティブ」を設立した。

略歴

山梨県山梨市出身。

父・厚に連れられ、しばしば山梨県内の遺跡や民俗信仰の痕跡に調査に出かけていたという。早稲田大学文学部に入学するも、翌年には東京大学教養学部理科二類に入学し、生物学者を目指す。植島啓司に誘われて宗教学者の柳川啓一の講義を聴講し、それがきっかけで宗教学に転じて文学部宗教史学科に進む。

柳川啓一ゼミ

東京大学文学部宗教史学科で柳川啓一のゼミに所属。ゼミでの柳川は、宗教の中心にあるのは、人は儀礼において「聖なるもの」を体験することで子どもから脱して大人になることができるという「イニシエーション」であるとしており、宗教学者は本を読むだけでなく、イニシエーションを直接体験しなければならないと主張、柳川ゼミでは、聖なるものを体験させてくれる宗教を見つけて「潜り込み」調査をする、自ら信者になって体験するということが行われていた。

ネパールへ

中沢はその対象にチベット密教を選び、大学院人文科学研究科博士課程在籍中の1979年(昭和54年)、チベット密教の修行のためにネパールへ赴いた。チベット学者の石濱裕美子によると、中沢がチベット密教に興味を持ったきっかけは、ドイツ人アナガーリカ・ゴーヴィンダまたはラマ・ゴーヴィンダ、本名エルンスト・ロタル・ホフマン(1898年 ? 1985年)の自伝的著作『白雲の彼方に』である。カトマンズ盆地のボダナートに住んでいた亡命チベット人ラマであるケツン・サンポ・リンポチェ(1920年-2009年)に師事し、亡命ニンマ派の初代管長ドゥジョム・リンポチェやその跡を継いだディンゴ・ケンツェー・リンポチェにも会った。中沢が師と仰ぐケツン・サンポ(転生活仏ではないが後にケツン・サンポ・リンポチェと尊称される)は、ゲルク派の僧院で学問を修めたことのあるニンマ派のラマで、還俗して在家密教行者(ンガッパ)となった人物である。1959年にインドに亡命し、翌年ダライ・ラマ14世の要請でドゥジョム・リンポチェの代理として日本に派遣され、10年間、東洋文庫の研究員を務めながら東京大学などでも教鞭を執っていた。チベット学者の山口瑞鳳は彼は東洋文庫で自分の助手をしており、日本語が堪能であったと述べている。以後、ネパール、インド、シッキム、ブータン等で、ゾクチェンと呼ばれるチベット思想や瞑想修行法を学ぶ。「仏教の出てくる根源」への関心から行ったこの修行の影響が、後の中沢の思想を大きく特徴づけるものとなる。1981年、チベット難民の住む土地での寺院建立に向けて、ケツン・サンポとの共著名義で『虹の階梯 - チベット密教の瞑想修行』を出版する。

体外離脱体験

チベット密教の修業を始めて7日目の晩、いつものようにヘックという掛け声とともに心滴を頭頂から抜き去った瞬間に体外離脱が起きたと主張する。中沢はこの時、自分が身体の外にいて自分自身の肉体を見下ろしていることに気付いた。中沢は師であるラマに嬉々としてこの様子を話したが、ラマは冷淡に体外離脱体験の価値を否定するとともに、瞑想によって体験した意識の状態の絶対化を戒めた。このことにより、中沢は一気に不安な状態へ追い込まれる。


 

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2019年9月30日 (月)
山野美容専門学校 山野ホール