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澤孝子

澤孝子



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Wikipedia

澤 孝子(さわ たかこ、1939年8月14日 - 2022年5月21日)は、日本の浪曲師である。本名:加瀬 孝子、千葉県銚子市外川町出身。第17代日本浪曲協会会長。

来歴

澤は、1939年8月、利根川近くの千葉県銚子市野尻で生まれ、太平洋戦争の暗雲漂う暗い世相の中で育った。戦時中の厳しい灯火管制の中、薄暗い電灯の下で澤が考えていたことは、子供心にこれからの時代は、女性でも自立した生活をしなければ、一生を通して悔いが残るのではないかという素朴な疑問であった。そして、何よりも、周りの人たちが皆そうしていたような「女は嫁に行って、嫁ぎ先の家風に従って生活をする」という、古風な生き方が出来ない女であることは、澤自身が一番良く知っていた。

終戦後の1946年に椎柴村立椎柴小学校(現・銚子市立椎柴小学校)へ入学し、音楽担当の伊予先生と出会った。歌う事が好きで、芝居で役を演ずることも大好きだった澤は、伊予先生の音楽指導で才能が開花し、学芸会等ではオペレッタの劇中でプリマドンナ役を演ずることが多かった。

その後、幼少期からの自立した女性でありたいという思いから、父の勧めもあって1954年3月30日、落語浪曲の二代目廣澤菊春に入門した。師匠の菊春は、芸には特に厳しいことで知られた。戦後の混乱で日本中が貧しく食べ物が無い時代であり、修業中は空腹で何度も目を回し、倒れそうになった。しかし、浪曲は好きな道であり、空腹でも楽しかった日々として思い出されるという。

1954年6月6日、廣澤菊奴と名乗り、横須賀市立衣笠小学校にて初舞台を踏んだ。廣澤菊春一門会にて、『恋慕月夜』を口演した。1958年には年季明け。半年お礼奉公の後、師匠・廣澤菊春の妹弟子、梅中軒園子一行でさらに一年間修行。1959年から1961年までの3年間は、四代目天中軒雲月会一行に出方として加わり、芸を磨く。

1961年9月、澤孝子と改名し、三笠節子をマネージャーとして一座を結成。全国を巡業し、その名を広めていった。1973年には、NHK第一回浪曲新人コンクールで最優秀賞を受賞。また1982年には文化庁芸術祭優秀賞を獲得した。1977年には、大西信行作、神津善行音楽による、民音の創作浪曲『羅生門の盗賊たち』において「沙金」役で主演。また、2001年からは、小椋佳作曲・演出のミュージカルにレギュラー出演した。

2008年-2012年、日本浪曲協会会長を2期4年務めた。現在の相三味線は佐藤貴美江(一門全ての曲師を務める)。

2022年5月10日の国立演芸場が生前最後の出演となった。

2022年5月21日、脳出血のため千葉県柏市の病院で死去。82歳没。関係者によれば同月19日、自宅で倒れていたところを親族によって発見され、病院へ搬送されたという。生涯独身であった。

人物・逸話等

  • 日本の伝統芸能である浪曲を、次の世代に確実に伝えるため、日本浪曲協会の道場にて、三味線教室、舞踊、書道、「わかたけ塾(もぎたてカルテット)」等を指導し、若手の育成に尽力している。
  • 日本浪曲協会会長としての抱負等として、「現代に息づく世相をとらえながら、走り過ぎず、遅れず、伝統を踏まえて浪曲をしっかりとアッピールしたい。次の世代へ「絆の深いマラソン・ランナー」の様に、しっかりと浪曲という襷をつないで行きたい。若手の育成に重点を置きます。」と述べている。
  • 元スペイン・マドリード日本人学校校長、スペイン国立フェリペII世大学翻訳学部教授の加瀬忠は実弟。

主な受賞歴

  • 1974年 - 第1回NHK浪曲新人コンクール最優秀賞受賞。
  • 1982年 - 文化庁芸術祭優秀賞受賞。浪花家辰造との掛け合いで「じいさんばあさん」(原作:森?外、脚本:大西信行、三味線:浪花家りつ子、木村喜代子)を演じる。 

作品


 

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