松尾 貴史(まつお たかし、1960年〈昭和35年〉5月11日 - )は、日本の俳優、タレント、コラムニスト。本名は岸 邦浩(きし くにひろ)。旧芸名はキッチュ。キッチュは現在の芸名になってからも愛称として使用されている(特に明石家さんま等関西出身の芸人・タレントから呼ばれている)。所属事務所は古舘プロジェクト。
演劇ユニット・AGAPE storeの座長のほか、日本文藝家協会会員、雑誌『季刊25時』編集委員(一時休刊中)。元京都造形芸術大学芸術学部映画学科客員教授。
来歴
- 兵庫県神戸市出身。大阪商業高等学校、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科グラフィック・デザイン専攻卒業。
- 1981年、イラストレーター佐々木侃司のアニメーション作品にオノマトペによる吹き替えで出演。
1982年、大阪芸術大学の教授だった脚本家の依田義賢の勧めで、ギャグ・パフォーマンスのカセットテープを新名義一と共同で制作・録音して配り歩く。「劇団120パーセント」の舞台ナレーションや、学生バンドのコンサートの司会などの地道な活動を続ける。1983年、母校の大阪芸大基礎造形研究室に、非常勤職員として勤務。この時、夕方以降の時間が空いていたことで何か習い事をしようと思い立ち「標準語がしゃべれる」というのが一番役立ちそうだと思ったことから、アナウンススクールに入学、在学中からCMナレーションなどを担当。1984年、大学非常勤職員の傍らDJとして勤めていた大阪・北新地のディスコ「クレオ・パラッツィ」店内でスカウトされ、大滝エージェンシーに所属。「キッチュ」(Kitsch)の芸名でテレビデビュー。「キッチュ(kitsch)」の語源はドイツ語の美術用語で、「まがいもの・粗悪品・俗悪趣味」などを意味する。1986年、中島らも主宰の劇団「笑殺軍団リリパットアーミー」の旗揚げに参加し、約4年間在籍。1989年 元日付けで株式会社古舘プロジェクトに移籍。4月3日、芸名を「松尾貴史」に変更、メインの表記も改める。「『トークシャワー』(フジテレビ)のレギュラーが決まった時に、報道部からキッチュという名前が難色を示されて変えることになった」とのことで、「売れている人はみんなあ段で始まる名前が多い(この時本人がここで挙げていた有名人はタモリ、(ビート)たけし、明石家さんま、桂三枝、萩本欽一、近藤真彦、田原俊彦、マイケル・ジャクソン、マドンナ)から、同じあ段で始まる名前がいい」と言った所、古舘プロジェクトの当時の社長が「自分の名前(たかし)はどうだ」と言われたといい、本人は『ウルトラQ』の登場人物にちなんだ「万城目」や「ちょうさかべもとちか」といった名前も考えていたが、事務所に提案したところ「うそくさい」という理由で却下されたという。結局全て丸投げして事務所任せにしたところ、古舘伊知郎の妻の旧姓「松尾」に、古舘プロジェクト社長の名前と同音の「貴史」(貴史は本名の「きし(岸)」と読める字を当てた)を合わせた芸名に決定した。同時に、活動の拠点を東京に移す。1993年4月、奥野敦士、勝村政信、原田喧太、川村カオリ、BUCK-TICKの樋口豊らとバンド「ポークソテーズ」を結成。楽曲「ハンバーグの作り方」が、2か月間NHK『みんなのうた』で放送される。1996年、G2と、ライブ「人格懐疑室」を青山円形劇場で催す。1998年、演劇ユニット「AGAPE store」を結成、年に1、2度の公演を続ける。2002年、正式にリリパット・アーミーを退団。2008年、京都造形芸術大学准教授に就任。映画学科で演技の指導などを担当する。2009年、下北沢にカレーショップ「般゜若(パンニャ)」をオープンさせる。2010年、京都造形芸術大学客員教授に就任。2013年、雑誌「季刊25時」創刊。2019年、2018年に上演された二兎舎公演『ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ』での演技で、読売演劇大賞優秀男優賞を受賞。