お得な公演チケットサイト Confetti(カンフェティ)

facebok公式ページへ Twitter公式アカウントへ LINE公式アカウントへ
カンフェティでチケットを買うとフェイスシールドもれなくプレゼント!

石原純



※本ページは、人物/団体の名前でWikipedia、Google画像、YouTube検索等を行い、
その結果を自動的に取得・表示しています。


 

Wikipedia

石原 純(いしわら あつし(じゅん)、1881年1月15日 - 1947年1月19日)は、日本の理論物理学者・科学啓蒙家・歌人。

来歴・人物

東京府出身。日本基督教会本郷教会牧師石原量、母ちせの長男として生まれる。キリスト教学者・石原謙は弟。郁文館中学、一高を経て、1906年7月 東京帝国大学理科大学卒業。長岡半太郎に学ぶ。東北帝国大学助教授時代にヨーロッパに留学し、アインシュタインらのもとで学ぶ。1922年には、アインシュタインの来日講演の通訳をした。日本に相対性理論を紹介するなど、物理学の啓蒙に大きな役割を果たした。1931年から雑誌『科学』(岩波書店)の初代編集主任を務めた。

歌人としては、一高時代に正岡子規『歌よみに与ふる書』を読んだことをきっかけに伊藤左千夫に入門し、『アララギ』の発刊に参加。初期の主要同人となった。1921年、妻子を持つ身ながら歌人・原阿佐緒と恋愛事件を起こし、大学を辞職。以後は著作活動をおこなう。島木赤彦や斎藤茂吉の説得を受け付けず阿佐緒との同棲を続け、やがてアララギを脱会に至る。このスキャンダルはアララギを揺るがす問題となり、二人を擁護した古泉千樫や三ヶ島葭子までもがアララギを離れることとなった。1924年、北原白秋、前田夕暮、釈迢空らが創刊した歌誌『日光』に阿佐緒や千樫らとともに参加した。唯一の歌集『靉日』では分かち書きや句読点を取り入れ、また海外詠の嚆矢といえる作品を発表。『日光』以降は自由律短歌の理論的推進者となった。

石原は西田幾多郎や九鬼周造にハイゼンベルクの不確定性原理をはじめとする当時最先端の物理学の知識を伝達したことでも知られている。西田はそれを時間と空間をめぐる考察に活かし、九鬼はそれを偶然性の考察に活かした。また、田辺元も若い頃に石原から相対性理論を学んでおり、その過程で得た疑問に対する解答を『相対性理論の弁証法』で提示した。

1945年12月に交通事故に遭って重傷を負い、その約1年後に死去した。

受賞歴

  • 1919年:帝国学士院恩賜賞

著書

単著

  • 『美しき光波』弘道館、1908年(明治41年)。NDLJP:829986。(物理叢書)
  • 『アインスタインと相対性原理』改造社、1921年(大正10年)。NDLJP:931166。
  • 『相対性原理』岩波書店、1921年(大正10年)。NDLJP:970532。(科学叢書)
  • 相対性理論の諸断面 第1-2輯 改造社 1922
  • 靉日 歌集 アルス 1922(アララギ叢書)
  • 『エーテルと相対性原理の話』岩波書店、1922年(大正11年)。NDLJP:969797。(通俗科学叢書 第1編)
  • 『相対性理論の諸断面 第1輯』改造社、1922年(大正11年)。NDLJP:931173。
  • 『相対性理論の諸断面 第2輯』改造社、1922年(大正11年)。NDLJP:931174。

 

取扱中の公演・チケット情報

現在取り扱い中の公演はありません。